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イエス像とマリア像は偶像? 8世紀の聖像崇拝論争の話

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 今日はクリスマス・イヴ。今日もキリスト教の話題を書きます。
 カトリックの教会へ行きますと、イエス像やマリア像があります。

 ここで疑問が出てきます。イエス像やマリア像は、旧約聖書にありますモーゼの十戒の1つ「偶像崇拝禁止」に抵触するのでは?
 それが大騒動を引き起こした事件があります。8世紀前半のビザンツ帝国での聖像崇拝論争です。

 キリスト教ができた頃は、偶像を禁止していました。
 しかし、キリスト教の教えを伝えるためには、何かシンボル的なものが必要になってきました。
 そこでイエス像や聖母マリア像が造られるようになりました。

 7世紀になりアラビア半島でイスラム教が興りました。イスラム教も旧約聖書の一部を聖典として採用しています。その中にはモーゼの十戒が含まれています。
 イスラム教から「キリスト教は、モーゼの十戒の偶像崇拝禁止に抵触している」と批判を浴びる事になりました。

 ローマ教会はアラビア世界から離れていますため、馬耳東風でした。
 しかし、ビザンツ帝国とコンスタンティノープル教会は、イスラム教圏が隣接していました。
 そのためイスラム教からの批判を敏感に受け止め、ビザンツ帝国内では聖像崇拝論争が起こりました。
 そして「モーゼの十戒を遵守しないとまずい」となり、726年に聖像禁止令が出されました。そしてイエス像やマリア像などが破壊されました。

 聖像崇拝論争はローマ教会にも飛び火し、ローマ教会とコンスタンティノープル教会で対立が起こりました。
 偶像崇拝禁止に反すると主張するコンスタンティノープル教会。イエス像や聖母マリア像の破壊は反教会的な行為と批判するローマ教会。
 激化する対立の結果、お互いが破門しあい、別々の道を進む事になりました。今のローマ教会と、東方正教会の関係が生まれました。

 この対立の名残りとして、クリスマスを祝う日が、ローマ教会と東方正教会では異なります。
 東方正教会は、グリゴリオス歴を採用せず、別の暦を使っているためです。グレゴリオ歴は、ローマ教皇のグレゴリオスが制定したもので、東方正教会としてはグレゴリオス歴を受け入れがたいためでした。

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