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武内宿禰の墳墓「菜切塚」 兵庫県尼崎市
1月13日、尼崎センタープールの近くを通っていますと塚を見つけました。
看板を見ますと武内宿禰の墳墓「菜切塚」と書いていました。
武内宿禰といえば、12代・景行天皇から16代・仁徳天皇まで仕えたとされる人物です。
13代・成務天皇と同じ日に生まれたとも言われています。
ところで、この時代の天皇の在位期間は驚くほど長いです。成務天皇は在位期間は60年。107歳まで生きたとされています。
15代・応神天皇は在位期間40年です。少なくとも100年以上、歴代の天皇に仕えたという計算になります。
ありえない期間です。この時代、春・夏・秋・冬で4年と計算していたという説があるぐらいですが、真実は定かではありません。
謎が多い時代だけに、ロマンを掻き立てる側面もあります。
さて「宿禰」は名前ではなく、当時の爵位にあたるものです。
「宿禰」の爵位を人物といえば、相撲の野見宿禰がいます。埴輪の考案者とも言われています。
そして武内宿禰は蘇我氏の祖とも言われています。聖徳太子の時代、権勢をふるった蘇我馬子、乙巳の変で殺された蘇我入鹿を連想しますね。
ところで菜切塚にあります看板を見ますと、流刑のため讃岐へ向かう途中の崇徳上皇が、この地で休憩され、この塚の事を記しました。
かなり古い時代から武内宿禰として知られていた事がわかりますね。