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崇徳院という地名。兵庫県尼崎市。

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 1月13日、尼崎センタープールの近くを通っていますと「崇徳院」という地名を発見しました。
 保元の乱で、後白河上皇と火花を散らした崇徳上皇の事です。
 保元の乱で敗者となった崇徳上皇。讃岐に流刑になりました。讃岐へ向かう途中、この地で休憩をとったとされています。

 保元の乱ですが、鳥羽上皇と崇徳上皇との対立が原因でした。
 その理由は当時の複雑な皇室の人間関係にありました。発端は白河法皇でした。
 白河法皇は、孫の鳥羽上皇の嫁を奪い、しかも子供ができました。その子供が崇徳上皇と言われています。
 その上、白河法皇は崇徳上皇を優遇したため、鳥羽上皇としては面白くありません。
 この辺りのドロドロ話を書きますと長くなりますので、別の機会に書きます。

 崇徳院周辺を散策しますと、崇徳院公園がありました。しかし、崇徳上皇に関する記述のある看板は見つかりませんでした。
 近くにありました菜切塚の看板に「崇徳上皇が逗留した場所」と書いていました。崇徳上皇が休憩しただけで地名になるぐらいなので、何かあったのかもしれないですね。
 地名を見ると、歴史的人物の足跡が垣間見えますので、面白いですね。

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