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吉田兼好の徒然草とオムロンの名前の発祥の地。京都市右京区・御室
京都の仁和寺や仁和寺周辺の事を「御室」(おむろ)と言います。
仁和寺の近い場所に長泉寺があります。長泉寺の門前に「兼好法師旧跡」の碑があります。
吉田兼好が、晩年、この地で徒然草を執筆した場所だからです。
吉田兼好は鎌倉末期から南北朝の時代の人物でした。
仁和寺の法師を書いたのも、近くに仁和寺があったからだと考えられます。
そして吉田兼好が徒然草を執筆したのは、仁和寺が建立されてから400年経っていました。そのためネタは豊富だったと思われます。
なぜ仁和寺の法師は人気があったのか。
当時、仁和寺は最高学府と言われる場所でした。エリートと言われた人達です。堅物、真面目、賢いという印象のある人達でした。
そんな最高学府の修行僧や僧侶の、ハメを外した行動、おバカな行動や、突飛な行動を徒然草で描いたため、意外性から笑いがとれました。
長泉寺のすぐ近くに「オムロン発祥の地」の石碑もあります。
1946年、この地にあった立石電機株式会社が、世界へ飛躍するため、御室の地名にちなんでブランド名「オムロン」と名づけました。
その後、社名もオムロン株式会社になりました。
オムロンといえば体温計など健康医療器具などを製造しています。
世界初の自動改札機を開発し、1967年に阪急電鉄・北千里駅に設置した会社でもあります。
弊社・本社の社員の大半は、通勤の際、阪急電車を利用していますだけに、毎日、オムロン製品と接しています。
徒然草の執筆の地とオムロンの名前の発祥の地が同じなのは意外ですね。