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イエズス会の紋章の銅鐘。京都市右京区・妙心寺内にある春光院
京都にあります臨済宗大本山妙心寺の境内に、春光院というお寺があります。
今年の2月22日、その側を通りました。中を見学するには事前予約が必要だったため、中には入る事はできませんでした。
そのため門の前にあります説明書きを見ました。
1854年に、南蛮寺にあった銅鐘が、このお寺に移ったと書いていました。
銅鐘を見る事はできませんでしたが、英語で銅鐘の説明が書いていました。
西暦の1577年と、イエズス会の紋章の「IHS」が刻まれている銅鐘と書いていました。
1603年、江戸幕府が開かれた際、徳川家康はキリスト教(カトリック)を黙認していました。
この時代、プロテスタントは日本で布教活動はしていませんでしたので、キリシタンといえば、カトリックの信者になります。
しかし、幕府を揺るがす危険な勢力と考えるようになり、禁止令を出すようになり、キリシタン弾圧が行われるようになりましあt。
それでも隠れキリシタンとして、仏教徒を装いながら、カトリックを信仰していた人達はいました。
お寺の門にあります看板には1854年に、イエズス会の紋章が入った銅鐘が来たと書いています。江戸時代後期です。
キリスト教の信仰が禁止されていた江戸時代に、銅鐘を移設する。それを受け入れた春光院。
なぜお寺がカトリックの紋章の銅鐘を受け入れたのか。不思議ですね。
春光院が隠れキリシタンを保護したかどうかは、わかりません。
ただ、神戸市東灘区にありますお寺では、隠れキリシタンを保護していました。
静かに隠れてカトリックを信仰する分には、庶民は目くじらを立てなかった上、重要な働き手を失う方が問題だったため、匿っていた可能性があります。
むしろ明治初期の頃のカトリック弾圧の方がひどかったとの話もあります。
門の前には、禅の瞑想、茶道の講習の時間を書いた英語の看板がありました。
ここのお寺の方が禅を海外へ広める活動をされているようです。春光院のサイトを見ますと英語でした。
英語を駆使して日本文化の発信されている。素晴らしい活動だと思いました。