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仁徳天皇陵と民のかまど伝説。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」 大阪府堺市
3月15日、堺市にあります仁徳天皇陵へ行きました。日本一大きい前方後円墳です。
御陵周辺にも小さい古墳がいくつかありました。写真やテレビで何度も見ていますが、実際に目で見ますと、その巨大さを感じる事ができます。
仁徳天皇は、民のかまど伝説が有名です。
夕方、宮殿から民家を眺めると、煙が出ていない事から、夕飯の支度ができないぐら貧しいと考えました。
そこで3年間、税を課さないようにしたら、民家から煙が出るようになったという話です。
この話には続きがあります。
仁徳天皇は「まだ貧しい民がいるはず。さらに3年、無税とする」と言いました。
宮殿は修理ができずボロボロ。雨漏りは当たり前で、夜は夜空を眺めながら寝る状態でした。衣服はボロボロ。食料は自給自足。
これに怒ったのは后でした。「贅沢できると思って大王に嫁いだのに、なんで貧乏生活をしなければならないのですか」でした。
それでも仁徳天皇は「民は宝だ。民が豊かになる事で私は満足だ」と言って、無税を続けました。
その一方で民は豊かになりました。そして仁徳天皇のあまりの窮状ぶりに、見るに見かねた民は「税を納めさせてください」と言いだしました。
ところで仁徳天皇は君子・聖人といえば、そうでもない面もあります。
浮気性で、后がいるのも関わらず、他の女性に浮気をしていました。仁徳天皇は恐妻家だったらしく、隠れて愛人に会いに行く事もしていました。それが后にバレて、后のカミナリが落ちたという話もあります。
后からしますと、貧乏生活の上に浮気をする、とんでもない大王でした。そのため、怒っても不思議ではないです。
仁徳天皇は、完璧でない、ダメな面もあるという事で、人間味を感じますね。
民のかまど伝説。昭和天皇は幼い頃から聞かされて育ったため、戦後、実践しました。戦争中、御所は空襲に遭いました。
戦後、昭和天皇は、国民と痛みを分かち合うという事で、防空壕で寝ていました。周囲から「お体に悪いので、御所を新しく作られては」と言われても、「住む家もない国民がいるのに、どうして自分は贅沢できるのか」と仰い、防空壕で寝ていました。そして昭和36年になり、国民生活が向上した事と、吹上御所が建設されたと同時に、御所で寝るようになりました。
ところで、仁徳天皇陵は巨大です。仁徳天皇は土木技術を持っていたため、巨大建造物だけでなく、灌漑事業も行っていたという話もあります。
3世紀から5世紀の間、中国大陸は三国志、五胡十六国、南北朝で覇権争いが繰り広げられ、とても外国に目を向ける余裕はありませんでした。
そのため中国大陸の目を気にする事なく、自由に振舞う事ができました。
そしてヤマト王権が内外に力を誇示するため、海から見えるところに巨大古墳を建造したとも言われています。
3世紀から5世紀の日本。古事記・日本書紀の内容も、どこまでが史実で、どこからが創作かはわかりません。
ただ巨大な古墳である事には間違いありません。
もし、タイムマシンがあれば、仁徳天皇がどんな人物だったのか見てみたくなりました。