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豪商の息子だったから茶人になれた千利休。大阪府堺市

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 3月15日、大阪府堺市へ行きました。
 堺には戦国時代の茶人・千利休の邸宅跡があります。
 千利休は堺出身です。豪商・魚屋(ととや)の家に生まれ、幼少の頃から茶道をたしなんでいました。

 ところで戦国時代は抹茶は高級品でした。今のように抹茶の粉を500円、600円で買える代物ではありませんでした。
 抹茶1杯の価格ですが、今の価格にすると、いくらなのかはわかりませんが、1杯5000円とか1万円ですと、ハレの日に奮発はできたとしても、普段は気軽に飲むことはできないですね。ましてや1杯5万円、10万円ですと、高嶺の花になりますね。
 しかし大名や豪商ですと、痛くも痒くもない金額です。

 茶道は室町時代の僧侶・村田珠光が開祖になります。村田珠光は、一休宗純の下で修行した僧侶です。応仁の乱のあたりの人物です。
 茶道の精神を武野紹鴎が受け継ぎ、大成させたのが千利休です。

 堺と奈良を結ぶ長尾街道沿いに村田珠光、千利休に関する碑がありました。
 村田珠光は奈良出身で、堺に出てくる際、長尾街道を通りました。千利休も奈良へ行く時、長尾街道を通りました。

 ところで戦国大名は茶道をたしなみました。教養がある事を示す狙いもありました上、茶室が密会の場になっていました。
 茶人は大名・豪商などを相手にするため、情報を持っていました。情報戦も活発だった戦国時代。まさに茶室外交(?)といった所です。

 茶道を上手に利用したのは織田信長でした。家来の褒美に茶器を与えていました。
 当時は茶会を開いたり、有名な茶器を持つ事は一種の地位を示す物になったため、家来は喜んで茶器を受け取りました。
 織田信長にしてみれば、領地を与えるよりも、茶器を与えた方が安上がりで済むというわけです。

 一般庶民がお茶を楽しめるようになったのは、江戸時代になってからです。
 以前、ブログで紹介しましたが、永谷宗円が煎茶を開発した事で、安価で美味しいお茶が飲めるようになりました。

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