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歯並びが綺麗だったから瑞歯別天皇。反正天皇。
3月15日、大阪府堺市に行きました時、反正天皇陵を見ました。仁徳天皇陵は有名ですが、その他、歴代の天皇の御陵もあります。
反正天皇は、仁徳天皇の息子になります。仁徳天皇の後、息子の履中天皇に継承されました。そして履中天皇が崩御された後、弟の反正天皇が継承しました。
これまでは親子間での皇位の継承でしたが、この時、兄弟間での皇位の継承の第一例になりました。
反正天皇は、歯並びが綺麗だったため「瑞歯別天皇」とも言われていました。
ただ、この名称は日本書紀に書かれています名称です。そして反正天皇の時代は「天皇」という称号はありませんでした。
実際の所、どういう名称だったのかは、タイムマシンに乗って確かめないとわからないです。
反正天皇は即位してから5年後に崩御され、反正天皇は息子がいない事から、弟の允恭天皇が即位しました。
履中天皇→反正天皇→允恭天皇と兄弟での皇位継承が行われました。
その後、允恭天皇の息子・雄略天皇により、履中天皇の息子は殺されましたが、孫の2人は播磨に逃げ無事でした。のちの顕宗天皇と仁賢天皇です。
以前、ブログで紹介しましたが、顕宗天皇と仁賢天皇の場合は、兄弟間の皇位継承ですが、弟から兄への継承です。
ただ、履中天皇、反正天皇、允恭天皇の子孫は絶えました。そのため豪族の1人の大伴金村が、仁徳天皇の父親の応神天皇の子孫(5世の孫:ひ孫の孫)だった男大迹王に皇位継承を依頼し、継体天皇になりました。
履中天皇の時代、急に、なぜ親子間ではなく兄弟間で継承が行われたのか知りたくなりますね。