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阿保親王塚古墳。兵庫県芦屋市

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 3月29日、芦屋にあります阿保親王塚古墳の側を通りました。

 阿保親王は平城天皇の息子です。阿保親王は承和の変を食い止めた人物です。
 842年、伴健岑・橘逸勢の謀反の動きを察知し、太皇太后・橘嘉智子に密告し、伴健岑・橘逸勢は御用になりました。

 ところで阿保親王の父親は平城天皇でした。薬子の変の当事者です。
 薬子の変の連座で、大宰府に流されましたが、その後、許され、朝廷の要職を務めるようになりました。
 若い時に辛酸を舐めたため、その後、怪しい事には巻き込まれたくなりという思いが強かったかもしれません。

 そのため不穏な動きを察知したとき、身の安全のため、密告した可能性はあります。
 そして承和の変を食い止めました。阿保親王は、その年に亡くなっています。
 病気なのか、承和の変を食い止めた恨みで暗殺されたのかは、わかりません。

 ところで阿保親王塚古墳ですが、阿保親王のお墓ではありません。
 4世紀頃にできた古墳と言われています。江戸時代になり、自称・阿保親王の子孫と名乗る長州藩・毛利家が、この古墳を改修しました。
 なぜ阿保親王塚古墳という名前になったのかは、わかりませんが、毛利家が改修したため、そういう名称にした可能性があるかもしれません。

 ところで阿保親王の息子に、在原業平がいます。高校の古典で出てきました伊勢物語の著者です。
 高校の古典と日本史が結びつきますね。

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