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楠正成の打出合戦の勝利記念の碑。兵庫県芦屋市楠町

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 3月29日、芦屋を通りました。国道2号線沿いに「大楠公跡」の石碑があります。
 打出は、建武3年(1336年)、楠正成が足利尊氏の軍勢を破った場所です。
 1934年、楠木正成が戦勝したから600年を迎えるため、地元の有志が資金を集め、この石碑を建立しました。

 この石碑があったため、1944年、この辺りの町名が「打出楠町」となり、その跡、楠町になりました。

 楠正成は忠臣となっています。武士から見れば、後醍醐天皇は、どうしようもない天皇でした。それにも関わらず忠義を尽くしたからです。
 建武の新政を実現する際、後醍醐天皇の軍勢と鎌倉幕府の軍勢が戦いました。その時、多くの武士の血が流れました。
 しかし、武士にはあまり恩賞が与えられず、公家ばかり優遇されたため、武士の不満がたまっていました。そのため担ぎ出されたのが足利尊氏でした。

 武士を冷遇する後醍醐天皇にも関わらず、後醍醐天皇に忠義を示した楠正成、新田義貞。
 そして楠正成は湊川の合戦で敗れ自害しました。神戸市中央区の湊川神社の近くです。今は忠臣として湊川神社に祀られています。

 湊川の合戦や湊川神社については別の機会で紹介いたします。

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