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「俺は高貴なる人物だ!」と主張していた? 平将門の話

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 昨日のブログで朱雀院の話を取り上げました。
 朱雀院に住んでいた朱雀上皇。ところで朱雀天皇の時代、関東では平将門の乱が起こりました。
 平将門の乱は、ややこしいので省略しまして、横道それた話を書きます。

 平将門は桓武天皇の5世子孫です。平将門の祖父・高望王は皇族でしたが、平姓を賜り臣籍降下しました。桓武平家のはじまりです。
 平高望は、その後、上総国の受領として赴任しましたが、居心地が良かったのか、上総国に有力者として住み着くようになりました。
 そして平高望の息子達によって関東で勢力を伸ばしていきました。

 平将門は関東の有力者になった平家で生まれました。桓武天皇の5世子孫とはいえ、すっかり民間人。
 出世を夢みて、時の権力者・藤原忠平に仕官しました。しかし、その望みが薄い事に気づき、関東に戻りました。
 藤原家は天皇家の男系子孫ではありません。平将門は「俺は、桓武天皇の血を引く、高貴なる人物だ。家臣の藤原ごときに頭を下げんとアカンねん」と思っていたかもしれません。

 その後、平将門は関東一円を支配し、「新皇」を名乗るようになりました。
 事態を重く見た朝廷は、討伐軍を出し、平将門を討伐しました。

 天皇の5世子孫。皇族で入れる最大範囲を意味します。
 武列天皇が崩御し、皇統が途絶える危機がありましたが、応神天皇の5世子孫の男大迹王が即位し、継体天皇になりました。
 神功皇后は、開化天皇の5世子孫だったため皇后になれました。(当時は皇族以外は皇后になれませんでした)

 過去の前例から平将門は「俺も桓武天皇の5世子孫だから、皇族どころか天皇になれる資格がある」と思っていたかもしれないですね。
 しかも、朱雀天皇の父親・醍醐天皇は、生まれたときは、民間人でした。醍醐天皇は、父親・宇多天皇が臣籍降下している間に生まれたためです。
 元・皇族(民間人)で、皇族復帰して天皇になったのは醍醐天皇だけです。平将門の乱は、醍醐天皇の少し後の時代だっただけに、平将門は「俺も天皇に」という気持ちがあったかもしれないですね。

 ちなみに平将門の叔父の子孫が平清盛になります。平清盛の妻・平時子も桓武平家の男系の子孫です。でも、5世子孫以内ではないため、皇族には戻れません。
 ところで平清盛は、朝廷や公家に対して気を配りながら出世していきました。教科書では異例の出世になっています。
 当時は家柄が大事だっただけに、平清盛は、桓武天皇の男系子孫と考えますと、家柄は良いから出世させないほうが、おかしいという見方ができます。

 歴史の横道それた話をみますと面白いですね。

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