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中朝国境の町・中国遼寧省丹東で見た朝鮮戦争の跡。2017年9月の話(3)

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 月曜日、火曜日に引き続き、2017年9月の3連休に丹東へ行った時の話を書きます。

 中朝国境の町・丹東では朝鮮戦争の跡を見る事ができます。
 鴨緑江にかかっています国境の橋ですが、2本のうち、1本が途中で寸断されています。
 朝鮮戦争の時、中国側から物資を届けられないようにするため、アメリカを中心とした国連軍が橋を空爆したためです。
 現在では観光名所になっていて、橋が崩れている先端まで行く事ができます。もちろん行ってみました。

 現地には破壊された橋の解説がありました。漢字で書いているお陰で、日本人は読む事ができます。
 破壊された橋は、日韓併合後の1911年に朝鮮総督府鉄道局が建設した橋でした。全長944.2m、幅11mの橋です。
 1950年11月8日から14日にかけて、米軍のB-29が何度も爆撃を行ったと書いていました。

 100年前とは思えないぐらい頑丈な橋だと思い、橋の上を歩いてきました。
 そして爆撃箇所に到着しました。そこには爆撃の跡が残っていました。爆弾もありました。模型なのか不発弾を処理した物なのかは、わかりませんでした。

 現在では戦争うんぬんよりも、間近で北朝鮮が眺められる場所として観光地化されています。

 北朝鮮側を見ますと、人が歩いている姿や自転車に乗っている姿を見る事ができました。川で魚を採っている漁師の姿を見る事もできました。
 外部に対する宣伝村なので、北朝鮮の人達は、中国側から見られている事に慣れているようです。そして北朝鮮の兵士の姿はありませんでした。

 ところで現在、朝鮮戦争は休戦中です。終戦していません。
 そのため韓国・アメリカ(及び国連軍)と北朝鮮・中国は敵国という関係です。

 朝鮮戦争は日本も無関係ではありません。国連軍は物資補給のため、朝鮮半島から一番近い日本を補給基地にしました。
 朝鮮半島に近い対馬では空襲警報が鳴る事もありました。日本は機雷除去のため、機雷除去船を出しました。悲しい事に犠牲者も出しました。

 その反面、日本を物資補給基地にしたため、国連軍から日本企業に物資の発注が相次ぎました。
 朝鮮戦争前の日本は、GHQからインフレ対策としてドッジラインと呼ばれる通貨供給量の削減と緊縮財政を押し付けられ、不況に陥っていました。
 しかし朝鮮戦争が起こり、国連軍は日本に物資の発注を行った事で、朝鮮特需と呼ばれる好景気が訪れ、日本の復興につながりました。

 休戦後も南北は分断されたままですし、現在でも朝鮮国連軍の本部はソウルにあります。
 そして国連軍の後方司令部が、米軍の横田基地にあります。
 朝鮮国連軍と我が国の関係について(外務省)

 
 丹東駅近くにスターバックスがありました。朝鮮戦争ではアメリカと中国は敵対関係ですが、アメリカ資本のスターバックスが朝鮮戦争の現場近くにあるのは、不思議な感覚でした。

 国際政治のド素人の私ですが、国際情勢の複雑さを垣間見ることができました。

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