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中朝国境の町・中国遼寧省丹東にある義勇軍の像。2017年9月の話(4)
今日も2017年9月に3連休を使って中朝国境の町・丹東へ行った話を書きます。
北朝鮮が見える鴨緑江断橋の所に、中国の義勇軍の像や武器が展示されています。
それに便乗して、売店ではおもちゃの機関銃が置いていました。商魂逞しいですね。
朝鮮戦争の時、中国は北朝鮮と共に戦いました。
ただ、建前上、国際社会に対して、中国政府が動いたという形にしたくないため、義勇軍という名目で軍を派遣しました。
朝鮮戦争を共に戦った仲という事で、中国と北朝鮮の友好と言われる事があります上、中朝を結ぶ橋の事を「友誼橋」と言います。
ところで近年のニュースを見ていますと、中朝友好は本物なのか、友好雰囲気を出す演技なのか、わからない状態です。
それを紐解く鍵として、北朝鮮の政治思想・主体思想(チュチェ思想)が挙げられます。
主体思想は字の如く、自主独立という意味が込められています。中国・ソ連(現:ロシア)からの自主独立を暗に謳っています。
歴史をみますと、歴代の朝鮮半島の国家は、中華帝国の冊封に入っていました。そのため独立国家として自由に振舞う事ができません。
例えば、1392年に建国されました李氏朝鮮の国号の「朝鮮」の命名は、明の皇帝・洪武帝によって行われた事が挙げられます。これには2つ説があります。
創始者の李成桂が、洪武帝から一方的に朝鮮という国号を賜ったという説。もう1つが李成桂がいくつか候補を出して、洪武帝に決めてもらった説。
いずれにしても中華帝国の皇帝の承認なしには国号が決められない上、元号も中国の元号に合わせるといった具合でした。
大国の影響下に甘んじてきた歴史からの脱却という考えがあり、主体思想では、名指しで国名は出していませんが、事大主義や大国におもねる事を批判しています。
主体思想は、金正恩委員長の祖父の金日成の時代に構築された政治思想で、今も北朝鮮の政治思想です。
朝鮮戦争後、中ソの関係悪化もあり、北朝鮮は中国とソ連を天秤にかけながら付き合ってきた歴史があります。
北朝鮮の態度は、中国もソ連(現・ロシア)は百も承知なので、損得勘定の付き合いですし、ソ連(その後のロシアを含めて)の歴代の指導者は北朝鮮を訪れていません。
今、北朝鮮内部で何が行われているのか、わかりません。しかし歴史を見てみますと、僅かながら北朝鮮が垣間見える感じがしなくもないですね。