Blog
一休さんが晩年過ごしたお寺・酬恩庵一休寺。京都府京田辺市。2017年5月の話
今年の5月の連休は、コロナウイルスによります非常事態宣言にため、外出自粛でした。
そのため気分だけでもと思い、2017年の5月の連休に、一休寺(酬恩庵一休寺)へ行った話を書きます。
酬恩庵一休寺は、鎌倉時代に臨済宗の高僧大應国師が創建し、一休宗純が再興したお寺になります。
一休宗純は、室町時代の僧侶です。アニメ・一休さんや、頓智の一休さんでお馴染みの僧侶です。
破天荒な僧侶で、形式や権威を嫌い、形式主義や権威に対抗する姿が人気を集めていました。
杖の頭にガイコツを載せて街中を歩き回ったり、77歳の時、50歳若い女性・森女と出会い、ドリフの加藤茶さんもビックリの年の差カップルになったりしました。
しかし一休宗純は権威の批判ばかりしていたわけではありません。
応仁の乱で大徳寺が消失した際、大徳寺再建の白羽の矢が一休宗純に向けられました。
80を超えていた高齢の一休宗純でしたが、大徳寺の住持(最高責任者)に就任し、大徳寺再建のため寄付集めなどに奔走しました。
その後、住持の役職をしがみつくことなく、京都田辺市にあります酬恩庵一休寺で最後の人生を過ごしました。
お寺の中に入りますと、まさに新緑という感じで、趣のあります建物がありました。
一休宗純のお墓があります。宮内庁が管理しています。
一休宗純は後小松天皇の息子です。そのためお墓も宮内庁が管理しています。
後小松天皇は、足利義満が南北朝を統一した際、皇統を継いだ天皇です。
アニメ・一休さんでは、寺社奉行の新右衛門(蜷川新右衛門)が出てきます。
しかし、史実では、一休宗純の晩年に登場した人物で、しかも室町幕府には寺社奉行の役職はありませんでした。
アニメ・一休さんや、頓智の一休さんは、創作です。
さて、お寺の建物の中に入りますと、虎の屏風がありました。
アニメ一休さんでも出てきました虎の屏風を連想してしまいそうです。
コロナの感染が沈静化して、のんびり京都を散策できる日が来るのを願うばかりです。