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飛行神社。世界で最初に飛行機を発明した二宮忠八。京都府八幡市。2017年5月の話
今日も2017年の5月の連休に行った先の話を書きます。
岩清水八幡宮の近くに飛行神社があります。
世界で最初に飛行機を発明した二宮忠八が、飛行機事故で亡くなった人達を祀るために建立した神社です。
境内には飛行機のプロペラやエンジンが展示されていました。資料館の中には二宮忠八の事や飛行機に関する展示がありました。
二宮忠八は愛媛県八幡浜市に生まれました。陸軍に入った時、ふとカラスが飛んでいる姿を見て、飛行原理を着想しました。
ゴムを動力にした模型飛行機「玉虫型飛行器」を発明しました。これが世界最初の飛行機です。そして二宮忠八は飛行機の将来性と有用性を陸軍幹部に訴えました。
しかし、陸軍は飛行機の将来性と有用性を理解しようとせず無視しました。先見の明がなさすぎですね。
陸軍に失望した二宮忠八でしたが、自力で飛行機を発明しようと考えました。
自力で飛行機を発明しようにも資金がなければ、どうしようもありません。
そこで二宮忠八は大阪にありました大日本製薬に転職しました。営業だけでなく、薬を開発するなど、才能を発揮し、役員まで登りつめました。
京都の八幡の地に土地を買って飛行機の開発に取り組みましたが、ライト兄弟の有人飛行機の成功が報道され、二宮忠八の夢は破れました。
二宮忠八ですが、その後、ヤケを起こす事はありませんでした。
飛行機開発や飛行事故によって亡くなった形を祀るため、飛行神社を建立しました。なんと自ら神職の資格まで取得しました。
二宮忠八の発想を無視した陸軍でしたが、1919年に同郷で陸軍中将だった白川義則との懇談で、飛行機の発想を無視されたことを話すと、白川義則は専門家に依頼し、二宮忠八が提出した飛行原理を精査。二宮忠八の発想が技術的に正しい事がわかり、陸軍は謝罪しました。
その後、勲章を受けたりし、僅かながらでも二宮忠八は救われた所があります。
一方、ライト兄弟ですが、不幸な人生を辿りました。
特許を取得したものの、妬みの対象になったり、軍事転用ができるといった事があったため、あからさまな嫌がらせや攻撃を受けました。
スミソニアン博物館は、ライト兄弟の発明した飛行機を展示しないばかりか、ライト兄弟の名前を抹殺しました。
ライト兄弟よりも先に飛行機を発明したという人達がでてきて、訴訟対応に追われました。
そんな中、失意のうちに兄のウィルバーは亡くなりました。
世界で最初に飛行機を発明したのは日本人の二宮忠八。日本人として誇りにしたいですね。