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三井寺。天台寺門宗総本山園城寺。滋賀県大津市

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 5月23日、滋賀県大津市へ行きました。
 天台宗寺門総本山の三井寺へ行きました。正式名称は「園城寺」ですが、通称の三井寺の方が有名です。

 「三井」の由来ですが、天智天皇、天武天皇、持統天皇の3人の天皇が生まれた時の産湯として、このお寺の井戸の水が使われた事から「御井」になり、それが「三井」になったと言われます。
 天智天皇、天武天皇、持統天皇が生まれた時は、飛鳥が都だったため、飛鳥まで水を運んだ事になりますが、伝説なので突っ込みはしない事にします。

 686年に創建されたお寺です。壬申の乱で大友皇子が敗れ自害しました。
 大友皇子の息子・大友與多王が、天武天皇に園城寺建立を願い出ました。そして建立されたお寺です。
 壬申の乱では大海人皇子(天武天皇)と大友皇子が戦いましたが、乱が終わった後は、大友皇子の勢力を味方につけるべく、天武天皇は、大友皇子の子供達と婚姻関係を結んだりして、反乱の芽をつぶしました。そのような経緯がありますので、敵将だった大友皇子の息子の願いを叶えた可能性はあります。

 866年、天台宗の僧侶・円珍が三井寺を再興しました。
 円珍は讃岐出身の僧侶で、弘法大師・空海の甥にあたる人物です。弘法大師と同様に頭脳成績だったようです。
 延暦寺で修行をした後、唐へ渡り仏教を学びました。866年、円珍は三井寺の別当職となり、三井寺は延暦寺の別院(本院に準じるお寺)になりました。
 868年に天台宗の5代目・座主に就任しました。

 ただ、円珍亡きあと、天台宗内で円仁派と円珍派の内部分裂があり、円仁派(山門派)の総本山の延暦寺、円珍派(寺門派)の総本山の三井寺に分かれ、今に至っています。

 三井寺の境内を散策しました。
 国宝になっています金堂がありました。金堂は1599年に豊臣秀吉の正室・おね(北政所)によって再建された物です。
 三重塔は1601年に徳川家康が寄進した物です。歴代の権力者や有名人の信仰を集めていた事がうかがえますね。

 観音堂では国宝の秘仏を特別公開していました。写真撮影禁止のため、秘仏が載っていますポスターの写真を代わりに載せます。

 展望台からは琵琶湖をはじめ大津の町並みを見る事ができます。

 写真ですが、撮影位置が逆光になる所ばかりだったので、あまり綺麗に撮影ができませんでした。

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