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逢坂の関にある車石のプレート。国道1号線。滋賀県大津市。

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 5月23日、大津から京都方面へ抜けるため、逢坂の関を登っていました。
 壁に石車のプレートが張っていました。絵は汚れているため見にくいですが、説明文は汚れていませんでしたので読む事ができました。

 逢坂の関は京都と東国を結ぶ大動脈でした。
 江戸時代後期になり、物流が多くなったため、1806年に京都の心学者の脇坂義堂が一万両をかけて、京都の三条大橋から大津までの13Kmの道の轍に花崗岩を敷き詰めました。
 牛車の車輪が転がる所に花崗岩を敷くことで、雨が降っても、地面がぬかるむ事なく、牛車を走らせたりする事ができました。

 脇坂義堂は心学者と看板に書いていました。
 一体、心学者とは何者と思い、調べてみました。庶民道徳を説く人の事でした。
 庶民道徳や江戸時代の思想家の話を書きたくても、全く知識がありません。中間・期末試験の前の突貫工事の勉強みたいなことをしても、すぐにコピペとバレてしまいます。
 そのため逃がさせていただきます。

 興味深いのが1万両の大金をどうやって調達したかです。
 江戸中期~後期の1両は今のお金で換算すると4~6万円のようです。(米の価格で換算した場合で、他の物価を基準にすると、変わってきます。)
 江戸時代の「1両」の現在価値はどのくらいですか?(日本銀行)

 1両5万円と考えますと、1万両は今のお金で50億円になります。大金ですね。

 工事費用は豪商から寄付を募ったそうです。
 車石・車道とは(車石・車道研究会)

 京都三条大橋から大津までの13Km。道が良くなった事によります費用対効果や経済効果も知りたいですね。
 

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