Blog

聖武天皇が般若経を納めた般若寺。奈良県奈良市。

ブログ

 6月6日、般若寺へ行きました。現地へ行ってコスモスが綺麗なお寺だというのを初めて知りました。
 コスモスは秋の花とばかり思っていましたが、6月に開花を始める花だと知りました。境内にはコスモスが綺麗に咲いていました。

 般若寺は、735年に聖武天皇が平城京の鬼門を守るために、般若経を基壇に納め、卒塔婆を建てたのが由来になります。そのため「般若」寺となりました。
 735年は、唐へ留学していた僧侶・玄昉が帰国した年で、大量のお経の中に般若経も持ち帰っていました。
 玄昉が持ち帰った般若経、もしくはその写本を納めたのか、前から日本に伝わっていた般若経を納めたのかはわかりませんが、時期が同じなだけに気になりますね。

 般若経は、インドのサンスクリット語から漢語に翻訳したものが色々あるようですが、玄奘が翻訳した物が有名なようです。
 ちなみに玄奘がインドから長安に戻ってきたのは645年です。般若寺が創建されたのは90年後になります。
 玄昉が唐から持ち帰った般若経は、玄奘が翻訳した物のようです。

 お寺の境内を散策しました。
 国宝の楼門は鎌倉時代。十三重石宝塔も鎌倉時代。歴史を感じました。
 ただ、奈良時代の建造物はありません。1180年、平家による南都焼討が原因で消失したためです。

 笠卒塔婆がありました。元々は寺の南側のお墓の入り口にあった物ですが、明治の廃仏毀釈で破壊され、そののち、境内に移された。
 明治の神仏分離や廃仏毀釈によって失われた文化財が多いため、明治の汚点、明治政府の愚策といっても過言ではありません。
 戦災や愚策のために文化財が失われるのは悲しい上、貴重な歴史資料を失うため、将来は起こらないようにしていきたいですね。

 本堂には鎌倉時代の文殊菩薩がありました。写真撮影禁止のため撮影はしませんでした。
 文殊菩薩の彫刻が細かさに驚きました。ただ仏像の知識は全くありませんので、表情や彫刻についてなどのウンチクは全く書けません。
 ところで文殊菩薩は獅子(ライオン)に乗っている彫刻でした。
 インドにはインドライオンはいますが、元々、日本にはライオンは存在しません。動物園がない時代、日本人の仏師にとって獅子は想像上の動物のため、ライオンには似ていない感じでした。
 インドに仏師でしたら、どんな獅子の彫刻になるのか興味津々です。

 コスモスが咲き乱れる時期に、また訪れたいと思いました。

Share

Category

Archive

Recent posts