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ここにもあった継体天皇の陵墓。京都府京田辺市三山木。
6月6日、京田辺市三山木駅付近で山崎古墳群の看板を発見しました。
その内容を読みますと「3号墳は継体天皇の陵墓との伝説がある」と書かれていました。
ところで継体天皇の陵墓ですが、大阪府高槻市にもあります。太田茶臼山古墳です。
他にも継体天皇の簿量として、同じ高槻市にあります今城塚古墳が候補に入っています。
古代日本ですが、あまり良くわかっていません。仮説の塊です。
日本最古の歴史文献は古事記・日本書紀になります。
これまで伝承で伝えられてきました日本の歴史を、700年代初頭に書物として編纂された物です。
継体天皇は、それよりも150年以上前の人物のため、文献資料ではあやふやな情報のため、はっきりした事がわかっていません。
古事記・日本書紀が編纂される以前は、過去の出来事は伝承によって次世代に伝えてきたため、伝言ゲームのように内容が変化していく事も十分考えられます。
現時点では、古事記・日本書紀よりも古い歴史文献は日本には現存していません。
日本書紀には、聖徳太子と蘇我馬子が「天皇記」と「国記」が編纂し、推古天皇に献上したとされていますが、両方とも火災で焼失したとされています。
仮に「天皇記」と「国記」が現存していたと仮定しましても、継体天皇は聖徳太子の曽祖父のため、直接、聖徳太子や蘇我馬子は継体天皇と話をしたわけではありませんので、伝承の域を超えません。
もっと極端な事を書きますと、聖徳太子も蘇我馬子も実在の人物かと問われますと、実在した可能性が高いという仮説に過ぎません。
そのため色々な学説(仮説)が出ています。
継体天皇の陵墓も、どれが本当なのか確定できない上、そもそも継体天皇の存在も確定できるかどうかも、難しい所です。
近・現代史でも噂や創作がまかり通っています。著名人の発言が、実は創作だったことはいくらでもあります。
それだけに古代史になりますと、何が本当にあったのかを断定するのは困難です。
その反面、妄想を膨らまして、歴史ロマンを感じる事も可能です。
そして「継体天皇は分身が何人かいたため、陵墓が複数ある」という荒唐無稽な話を創作して楽しむのもありかもしれないですね。