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ソウルの戦争記念博物館。朝鮮戦争から70年。
1950年6月25日は、朝鮮戦争が勃発した日です。
私は国際情勢のド素人なので、朝鮮半島情勢を書いても、評論家の受け売りになります。
そこで2013年に韓国・ソウルへ旅行した際、朝鮮戦争の事を展示しています戦争記念博物館へ行った話を書きます。
まずは朝鮮戦争の概略を書きます。
第二次世界大戦後、朝鮮半島は聨合国の管理下に置かれました。この時、北緯38度線を境界として、南はアメリカが管理し、北はソ連が管理する体制になりました。
統一国家の建国の模索がありましたが、1948年、南は大韓民国、北は朝鮮民主主義人民共和国が建国されました。
1950年6月25日に、北朝鮮から戦争を仕掛けてきました。、一時はプサンなどの南部をのぞけば、北朝鮮に占領されました。
しかし、マッカーサー率いる国連軍は、背後から北朝鮮軍を撃とうと考え、仁川上陸作戦を決行し成功しました。その後、中朝国境付近まで押し上げました。
危機感を覚えた中国は、義勇軍を送り、一進一退を繰り返しながら、今の軍事境界線の所で膠着状態になり、1953年に休戦協定を結び、今に至っています。
今の軍事境界線は38度線ではありませんが、当初、38度線で南北に分かれていましたため、今も38度線と呼んでいます。
戦争記念博物館に入りますと、朝鮮戦争についての展示が説明がありました。上に書きました朝鮮戦争の概略などです。
ジオラマで朝鮮戦争の様子を再現していたり、戦車などの重機の展示がありました。
ところで戦争博物館をはじめ、韓国の歴史的施設にあります日本語や中国語の説明を見ますと、日本では見慣れない表記をしていました。
日本では「朝鮮戦争」と表記しますが、韓国では「韓国戦争」と表記していました。
そして韓国では北朝鮮の事を「北韓」と表記します。朝鮮民主主義人民共和国を国家として認めていないためです。
日本も北朝鮮とは国交がないため、国号ではなく「朝鮮半島の北側(北朝鮮)」という地域を指す言葉を使っています。
国連軍に関する展示もありました。まさに多国籍軍です。
日本も国連軍に物資の支援と、当時の米ドル換算での支援費用が書かれています。
博物館の説明では書かれていませんでしたが、日本は機雷を取り除く掃海部隊も派遣しています上、事故で1人が亡くなっています。
日本の説明の両側には、中華民国(台湾)は石炭、米、燃料の提供、メキシコは豆類と鶏肉の支援と書いていました。
当時、国連で拒否権を持つ国は、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中華民国(台湾)でした。
ソ連は冷戦激化を恐れ、安保理決議で棄権したため、拒否権が発動される事はなく、国連軍を朝鮮半島へ派遣となりました。
現在、朝鮮戦争は休戦ですが、朝鮮国連軍の司令部は韓国に駐留しています上、後方司令部は米軍の横田基地にあります。
朝鮮国連軍と我が国の関係について(外務省)
日本にいますと朝鮮戦争や、朝鮮半島情勢は海外の出来事に思えてしまいます。
しかし、ソウルの地下鉄に乗りますと、ガスマスクが置いている駅があったりしました。休戦であって終戦でない事を感じる事ができます。
そしてソウルから60Km北へ行きますと、軍事境界線があります。脅威がすぐ近くまであります。
だいぶ昔に軍事境界線上にあります板門店へ行きましたが、ピリピリした雰囲気が、今も忘れられないです。
先日から朝鮮半島情勢がニュースになっていますが、何も起こらない事を祈りたいですね。