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機織の専門家を祀った呉服神社。大阪府池田市
6月28日、池田市にあります呉服(くれは)神社へ行きました。
昨日のブログで紹介しました穴織宮・伊居太神社と同じ由来を持つ神社です。
応神天皇の時代、日本には服飾技術がなかったため、中国系渡来人の阿知使主、都加使主の親子に依頼し、呉国から機織・裁縫技術者であります4人の女性を呼び寄せました。
そして池田の地で、機織業が興り、日本の服飾技術が大幅に向上しました。
来日した技術者の1人の呉服(呉織)が亡くなった際、呉服は姫室に葬られました。呉服神社は、呉服の功績を称えて、仁徳天皇が建立した神社です。
呉服、姫室は共に池田市の地名になっています。
ところで呉服(くれは)と読み方ですが、呉(くれ)と服(はとり)が縮まったと言われていています。知らないと読めない字ですね。
神社の境内を散策しますと、拝殿にステンドグラスが飾られています。珍しいですね。
拝殿の所の提灯の絵は、菊の御紋でした。仁徳天皇が建立した神社なので、天皇家の家紋が使われているようです。
余談ですが、天皇家の菊の御紋は、鎌倉時代初期に後鳥羽上皇がデザインしたため、仁徳天皇の時代にはありませんでした。
ところで和服の事を呉服と言ったり、和服店の事を呉服屋と言ったりします。和服なのに呉国の服。考えたら不思議ですね。
呉服神社の由緒書きには、後醍醐天皇の御宸翰によって「呉服大明神」が起こり、これがきっかけで、絹布の類を「呉服」と言うようになりました。
御宸翰(ごしんかん)。この漢字、読めないですね。天皇直筆の書という意味です。そのため「呉服」の名称は後醍醐天皇が由来になりますね。
鎌倉時代、平安時代は、呉服の事を、どう呼んでいたのか。ちょっと知りたくなりました。
ところで、もし、中国人が来日し「呉服屋」という看板を見ますと、「和服を販売している店なのに、なぜ呉服?」と驚くかもしれないですね。