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童謡・鳩ぽっぽ。大阪府池田市
6月28日、池田市にあります五月山公園へ行きました。
鳩ぽっぽの記念碑がありました。なぜ池田市と思いました。記念碑の説明の所に、池田市在住の作詞家・東くめが作詞した曲と書いていました。
池田市の図書館のサイトには、作曲家・滝廉太郎と組んで作詞したと書いています。東くめ(池田市立図書館)
他にも「もういくつ寝ると、お正月~♪」(お正月)や、「雪やこんこん、あられやこんこん♪」など、誰でも知っている童謡を作詞されています。
身近な所に、有名な曲の作詞家が住んでいたのは驚きました。
音楽や音楽の歴史の知識がゼロの私ですが、ちょっと明治の童謡を調べてみますと興味深いことが見えてきます。
西洋音楽の旋律で日本語の歌詞で歌うという特徴です。「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」の七音階は西洋音楽由来です。
江戸時代までの日本の音楽は五音階でした。江戸時代までの日本の伝統音楽からの決別でした。
今の感覚では文化破壊になりますが、当時、明治政府の西洋に追いつけの姿勢が、作詞・作曲の世界にも影響しているようです。
童謡の特徴は、わかりやすい日本語です。童謡ができた背景には、50音の正しい発音と標準語の普及という目的がありました。
明治初期、人の往来が自由になり、全国から東京へ人が流れてきました。
一部の公家や武士は都言葉などで共通言語を持っていたようですが、庶民は違いました。
そのため各人が話す方言が強かったり、地域によって苦手な発音があるなどして、日本人同士、意思疎通が困難でした。
政府高官だった森有礼が日本語廃止・英語公用語を掲げるぐらい、事態は深刻だったようです。
日本人同士、言葉が通じない逸話として薩摩出身で陸軍卿の大山巌と、会津藩家老の娘・捨松の夫婦の会話が英語やフランス語だったという驚きの話もあります。
2人とも留学経験があるという、当時としては例外的な人達です。もし、片方でも英語、フランス語ができなければ、縁談が破談になっていたかもしれません。
もしかして、東京で若い男女が出会っても、言葉が通じず、恋愛関係に発展しなかった例がいくつもあるかもしれないですね。
そのため明治政府は、学校教育を通じて、50音の練習、標準語の普及を考え、童謡を利用したという話があります。
童謡を1つとってみても、色々な事が垣間見えますので、面白いですね。
余談ですが、JASRACの著作権の検索で確認しましたら、著作権の保護期間が過ぎていますので、安心してブログに歌詞を載せる事ができました。