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華族令。公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の話
1884年7月7日、明治政府は華族令を出しました。
華族を5つの爵位に分ける法令です。公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵です。
ところで華族の爵位の名前ですが、古代中国の王朝・周王朝の爵位に由来します。
周王朝では5つの爵位(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)がありました。もちろん、周王朝は長いため、時代によって、爵位の数は変わりますので、五爵位は周王朝のある時代の爵位になります。
なぜ貴族や華族の序列の事を「爵位」と呼ぶのか。元々、「爵」という漢字の意味は、盃(さかずき)の意味です。
周王朝時代、褒美や辞令を渡す際、銅製の盃が渡されました。そのため盃(爵)の違いから爵位という言葉が生まれたと考えますと合点がいきますね。
ところで、盃(爵)には文字が刻まれていました、功績を称える内容や辞令の内容です。それらの文字は「金文」と呼ばれる物です。
史記をはじめとします文献資料は後世の創作などがありますため、周王朝時代の様子を知る手がかりは一次情報であります金文の解読にあると言われています。
ヨーロッパの歴史を見ますと、○○伯爵とか、××公爵といった人物名が出てきます。
ヨーロッパの爵位の訳語として、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵が使われているためです。
ただ、古代中国の爵位の数と、ヨーロッパの爵位の数は異なります。そのため公爵の上の爵位には「大公」という訳語をつかっています。
過去の偉人に対して、「○○公」とつけるのは公爵に由来します。諸侯の「侯」も侯爵に由来します。
そのため大名の事を「○○侯」と呼ぶことがあります。幕末の長州藩主の毛利敬親は、家臣の提案がある度に「そうせい」と言っていたため、「そうせい侯」というあだ名がつけられました。
孔子、老子といった古代中国の思想家の名前に「子」がつくのも、子爵に由来した敬称です。
日本でいう「先生」に当たる意味になります。
さて、古代日本にも爵位に該当する物がありました。姓(かばね)です。
大臣(おおおみ)で、大連(おおむらじ)といった姓(かばね)で、朝廷に仕える豪族達の職種と身分を表わした物です。
その後、天武天皇の時代に八色の姓ができました。その中に朝臣(あそん)があります。皇族から臣籍降下した源氏は朝臣という姓(かばね)が与えられました。
明治になり華族の序列を定めるのに周王朝の爵位は採用されましたが、古代からありました姓(かばね)は採用されませんでした。なぜか興味深い所です。
姓(かばね)の名残りはあります。国務大臣の「大臣」です。古代や飛鳥時代は大臣(おおおみ)でしたが、律令時代、太政官の最高幹部は太政大臣、左大臣、右大臣にになりました。その時、大臣(おおおみ)から大臣(だいじん)と呼び方は代わりました。それと同時に爵位から役職に変化しました。
明治になり内閣が誕生し、律令時代からありました太政大臣、左右大臣は廃止になりました。
そして閣僚は「卿」から「大臣」になりました。飛鳥時代からの大臣が今も名残りとして残っています。