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坂本銭。江戸時代、銅銭を輸出した日本。滋賀県大津市坂本

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 10月24日、明智光秀のゆかりの地・坂本へ行きました。
 坂本銭座跡の看板を発見しました。坂本で銅銭の鋳造が行われていたのを知りませんでしたので驚きました。

 鋳造されてましたのは「寛永通宝」です。
 江戸時代初期、これまで日本に流通していました明の銅銭(永楽銭)の流通を停止し、国産の銅銭の発行を行いました。この時に発行された銭が「寛永通宝」です。

 当初、日本では3ヶ所で鋳造され、そのうち1ヶ所が坂本でした。なぜ坂本が選ばれたのは、わかりません。
 坂本で鋳造された寛永通宝の質が良かったため、オランダ商館が目をつけ、オランダが買い付けました。
 質が良し悪しの基準、どうやって質の良し悪しを判定していたのかはわかりませんが、オランダ商館としては質の良い銭だったようです。

 これまで銅銭は、日本が中国大陸から輸入していました。宋の時代の宋銭。明の時代の明銭です。
 しかし日本が銅銭を輸出した話は、おそらく寛永通宝が最初だと思われます。
 ただ、これが幕府公認ではなかったようで、そのあと、輸出禁止になりました。
 江戸時代、経済が発展するにつれ、銅銭が足らなくなり、鋳造する場所を増やし、銅銭の増産を行っていきました。

 ところで平安時代末期から鎌倉時代、貨幣経済の浸透と経済発展の過程で、銅銭が必要となり、大量に銅銭を輸入しました。
 もしかしますと、オランダの東インド会社は、東南アジアの商取引が発展するにつれ、銅銭が不足したため、日本から輸入したかもしれないですね。

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