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坂本城址公園。明智光秀ゆかりの地。滋賀県大津市
10月24日、坂本城址公園へ行きました。
坂本城とは、1571年の延暦寺焼き討ちの後、織田信長が明智光秀に命じて築城した城です。延暦寺や門徒宗達を監視するのが目的でした。
1572年に完成しました。11月か12月の大河ドラマ「麒麟がくる」で坂本城が出てくるかもしれないですね。
公園入口前の道路は、明智家の家紋があります。公園内には明智光秀の銅像がありました。
丹波の人達にとっては明智光秀は名君です。その一方で本能寺の変を起こしたため、歴史の教科書では裏切り者という烙印を押されていました。
しかし、近年、明智光秀の評価が変わっていくにつれ、名誉回復が進み、今年の大河ドラマ「麒麟がくる」になりました。
明智光秀像だけでなく、鳥羽一郎さんの曲「光秀(おとこ)の意地」の歌詞が彫られた石碑もありました。地元の方がCDで「光秀の意地」を流していました。
光秀の無念さを歌った曲があった事を知りませんでした。著作権の関係で、弊社のブログでは歌詞は紹介できませんが、ご興味のある方はネット検索していただきますと、歌詞が出てきます。
歌詞が彫られた石碑には、琵琶湖の中を移動する馬に乗った武将があります。「明智左馬之介の湖水渡り」の絵です。
明智光秀の娘婿の明智秀満(一説には弟)は、本能寺の変のあと、安土城を占拠していましたが、光秀討ち死にの連絡を受け、坂本城へ戻ろうとしました。
途中、敵に囲まれましたが、騎乗したまま琵琶湖に入り、坂本城に戻ったという逸話があります。
騎乗したまま水の中で馬が泳いで移動できるかどうか、わかりません。ただ、明智秀満は坂本城に戻った後、坂本城に火を放ち落城しました。
実際の坂本城があった場所は、公園より少し北西側になります。
坂本城の石垣の一部は現存しますが、琵琶湖の中にありますので、残念ながら見る事ができません。
坂本城は安土城に次いで豪華絢爛なお城だったと言われています。
どんなお城だったのか。タイムマシンに乗って見てみたいですね。