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北条政子が崇拝した佐保神社。町名になった神社。兵庫県加東市社町。

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 11月14日、加東市社町の佐保神社に立ち寄りました。
 2006年に隣の滝野町、東条町と合併する前は社町でした。名前の由来は、佐保神社の門前町だったため「社村」になり、そして「社町」になりました。

 佐保神社ですが、第11代垂仁天皇の時代に現在の加西に創建されたといわれています。
 722年に現在の地に移りました。女帝・元正天皇の時代です。720年は藤原不比等が亡くなり、政権の座が藤原家から長屋王になった時代です。
 平城京の変化は、この地にまで波及したのかどうか、わかりませんが、タイムマシンに乗って確かめてみたいですね。

 醍醐天皇の時代、全国の神社一覧を作成した際、佐保神社も選ばれました。いわゆる延喜式の神社です。
 佐保神社の由緒には、鎌倉時代、朝廷や幕府の崇拝を集めていたと書いています。そして、あの尼将軍・北条政子が鳥居を造成したりしました。

 なぜ、崇拝を集めていたのかは、神社の由緒には書かれていませんでした。気になりますね。

 拝殿を見ますと屋根瓦になっています。神社ではなく、お寺の雰囲気があります。
 反対に、なぜ神社では屋根瓦が少ないのか。神道や社殿造り知識がない私には、わかりません。
 一説には、屋根瓦は土(粘土)を焼いて造ります。地面の下は黄泉の国なので、土(屋根瓦)の下に、神さんを祀ると、具合が悪いという説です。
 そして拝殿の彫刻を見ますと、像と思われる彫刻がありました。

 そして鐘楼がありました。お寺の感じがします。おそらく神仏習合の名残りと考えられます。現在でも、神仏習合の名残りで、お寺の守り神が神社の所がありましたり、神社の中にお堂がある所があります。
 ただ、明治初期、神仏分離と廃仏毀釈が起こり、神社からお寺の要素を排斥したり、お寺が襲撃されたりしました。そのため明治以前と違い、神社とお寺の融合した部分を見る事が減りました。しかし、佐保神社には、その名残りがあるようですね。

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