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夙川カトリック教会に飾られてるモザイク画。兵庫県西宮市

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 11月23日、夙川カトリック教会の前を通りました。
 道路に面した所に、トルコ共和国の首都・イスタンブールにあります博物館「アヤソフィア」にありますキリスト教のモザイク画を展示していました。
 ビザンツ帝国時代のモザイク画です。1453年、オスマン帝国率いるメフメト2世によってコンスタンチノープルは陥落し、ビザンツ帝国は終焉を迎えました。
 この時、アヤソフィアは東方正教会の大聖堂からモスクに造りかえられました。
 第一次世界大戦後、オスマン帝国が滅び、トルコ共和国になりました。初代大統領でトルコ共和国の建国の父・ケマルは、世俗主義を掲げ、アヤソフィアを宗教施設から博物館にし、壁の漆喰で隠されたキリスト教のモザイク画を復活させました。
 ただ、近年、トルコのエルドアン大統領がイスラム色を強め、アヤソフィアがモスクに回帰しつつあります。

 ところでカトリックはローマ教会で、ビザンツ帝国は東方正教会です。

 古代ローマ帝国時代、イスラエル周辺でキリストが誕生し、キリスト教が興りました。
 ローマ帝国に普及し、ついにはローマ帝国の国教にまでなりました。
 その時、五本山としてローマ、コンスタンチノープル、アレクサンドリア、エルサレム、アンティオキアがありました。
 その後、イスラムが勃興し、北アフリカやエルサレムなどがイスラム勢力の地になり、ローマ、コンスタンチノープルの二本山となりました。
 イスラムに近い場所にありましたコンスタンチノープル教会はイスラムの言動が気になりました。
 キリスト教、イスラム教の両方の経典になっていますモーゼの十戒にあります偶像崇拝禁止です。イスラム側から偶像崇拝を突っ込まれると具合が悪いため、726年、ビザンツ帝国の皇帝・レオ3世は聖像禁止令を出しました。
 これをきっかけに東西対立が深まり、1054年にお互いが破門しあい、東西分裂してしまいました。西のカトリック、東の東方正教会です。

 900年以上の対立の末、1965年、お互いの破門を解き、東西の和解に至りました。

 そう考えますと、カトリックの教会にビザンツ帝国の東方正教会の美術を展示していますのは、対立が解消されている証拠ですね。

 普段、世界史と接する機会はないですが、それでも身近な所で、学校で習います世界史が出てきますと、世界史が身近に感じられますね。

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