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坂上田村麻呂の墓。京都市山科区。

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 12月20日、山科区を散策していましたら、坂上田村麻呂の墓を発見しました。

 桓武天皇の時代、武官として蝦夷討伐で活躍した人物です。当時は蝦夷といえば東北地方の事も指していました。
 そして嵯峨天皇の時代に発生しました薬子の変を、迅速に鎮圧しました。
 もし、坂上田村麻呂が迅速に薬子の変が鎮圧できていなければ、奈良の平城上皇、京都の嵯峨天皇という平安時代版の南北朝の構図になっていた所でした。
 最終的に右近衛大将にまで出世しました。そして清水寺の建立した人物とも言われています。

 よく「坂上田村麻呂は日本最初の征夷大将軍」と言われていますが、実は間違いです。
 桓武天皇の蝦夷討伐(790年)の征夷大将軍が大伴弟麻呂。補佐する副使が坂上田村麻呂でした。 
 801年、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられました。

 坂上田村麻呂は、優れた敵の武将を評価する話があります。
 蝦夷征伐の時の敵軍の大将・アテルイでした。坂上田村麻呂はアテルイの能力を見抜きました。
 アテルイを捕縛した後、朝廷に対してアテルイの処刑をしないように懇願しました。
 しかし、他の貴族達はアテルイの処刑を主張しました。そのため懇願は通じず、アテルイは処刑されました。
 その後、東北平定は不完全なまま終わったため、朝廷に敵対する勢力は残り続けました。アテルイの碑は清水寺にあります。

 もし、アテルイを処刑せずに、朝廷に服従する事を条件に東北地方をアテルイに任せていたら、歴史は変わっていたかもしれません。前九年の役、後三年の役もなかったかもしれません。

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