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六地蔵の一つ。徳林庵。京都市山科区

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 12月20日、京都市山科区にあります徳林庵の前を通りました。
 昨日のブログ「六地蔵の名前の由来のお寺・大善寺。京都市伏見区」で紹介しました六体の地蔵のうち、東海道から京都に入る入口に安置された地蔵が、この徳林庵にあります。

 元々は大善寺にありました六体の地蔵ですが、後白河上皇の勅令により、京都に入る六街道の入り口に地蔵を分散安置するようになりました。
 この地は東海道沿いにありますので、京都に入る入口として、1体の地蔵が安置されました。それが1157年です。

 1550年に南禅寺の雲英正怡禅師によって徳林庵が創建されました。地蔵の方が先にできた場所です。

 六角堂の裏には穏やかな表情をしています石でできた地蔵が六体ありました。
 ところで六地蔵の地蔵を作った平安時代の小野篁という人物は、穏やかではなく、反骨精神の人物だったと言われています。

 平安初期の嵯峨天皇の時代、小野篁は優秀な官僚として出世していきました。そして遣唐使の副使になりました。
 しかし唐に向かう事はありませんでした。大使の藤原常嗣と大喧嘩。遣唐使として唐へ行くのを辞めてしまいました。
 藤原常嗣の専横にブチ切れたとも言われています。遣唐使を風刺したため、それを知った嵯峨天皇は激怒し、小野篁は隠岐へ流罪になりました。
 ただ、小野篁は才能があったため、2年後に許され、都に戻り、出世していきました。

 中世の人物。少し掘り下げると実像が見えて面白いですね。

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