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メフメト2世が二回目の即位した日。

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 オスマン帝国のスルタン(皇帝)、メフメト2世界が1451年2月3日に2回目の即位をしました。
 1回目は14歳のときでした。この時は未熟なスルタンだと対応できない事もあり、父親(ムラト2世)がスルタンに復帰しました。

 しかし、父親の死を受けて、メフメト2世が再度、スルタンに即位しました。
 それでも若き18歳でした。まだまだ若い。周囲は若造スルタンという視線で見ます。そんな中、転機が訪れました。

 1453年にビザンツ帝国へ攻めた時でした。国家として老衰寸前だったビザンツ帝国ですが、コンスタンチノープルの守りは鉄壁でした。
 オスマン帝国は最新の砲弾などを使って攻めましたが、難攻不落なコンスタンチノープルに歯が立ちませんでした。

 このままメフメト2世は、ビザンツ帝国に勝てないと面子丸潰れな上、親衛隊でありますイエニチェリーに見放され、殺される危険性もあります。
 そこで、オスマン帝国は艦隊を金角湾の内部に移動させるべく、なんと艦隊を山に登らせました。オスマン艦隊山越えです。
 そして艦隊を山越えさせた後、金角湾の内部に移動させました。それに仰天したのはビザンツ帝国です。戦意喪失です。
 その後、戦況は大きく変わりコンスタンチノープルは陥落。ビザンツ帝国はローマ帝国建国から2200年の歴史に幕を閉じました。

 その後、メフメト2世は破竹の勢いで領土獲得し、ビザンツ帝国のユスニティニアヌス帝時代の領土と同じ範囲を統治するようになりました。
 そのためオスマン帝国は、ビザンツ帝国の領土の継承者と言われています。そしてビザンツ帝国は東方正教の保護者でした。それはロシアが引き継ぐことになりました。
 ビザンツ帝国・皇帝の親戚がロシアに嫁いだからです。ビザンツ帝国の紋章の双頭鷲は、ロシアにも引き継がれています。

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