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明智光秀ゆかりのお寺・西教寺。滋賀県大津市坂本
2月7日に大河ドラマ「麒麟がくる」が終わりました。
今日も明智光秀ゆかりの地ということで、以前、坂本へ行った時の話を書きます。
明智光秀ゆかりの西教寺。日吉大社から歩いて15分位の所にあります。
ここには明智光秀のお墓(3枚目の写真)と、明智光秀の妻・煕子(ひろこ)の墓(4枚目の写真)があります
比叡山焼き討ちの際、麓の焼けたため、明智光秀が菩提寺にしようと再建しました。
ところで史実では明智光秀は比叡山焼き討ちに積極的だったようです。
なのに、お寺が燃えたから再建したとなると、なんだか偽善に思えたりします。
西教寺の説明書きでは、聖徳太子の師匠で高句麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと言われています。1400年前ですね。
その後、荒廃していきましたが、平安時代の天台宗の僧侶・良源が再興しました。今に至っています。
お寺の建物は比叡山焼き討ちの後に再建されたものです。
庭園が2つありました。5枚目の写真が小堀遠州作と言われています。6枚目は穴太衆による庭園です。
私は庭園の知識はゼロなので、何がどう違い、どういう趣なのかの説明はできませんが、綺麗な庭園なのには変わりませんね。
西教寺で明智光秀と妻のお墓がありますが、大津そろばんの元祖で長崎奉行だった長谷川藤広のお墓もあります。7枚目の写真です。
江戸時代初期、彼が長崎奉行の時、大津の住人に明のそろばんの製法を教えました。それが大津そろばんのはじまりです。
大津そろばんから派生したのが、兵庫県小野市にあります播州そろばんです。
そろばんを持ったお地蔵さんもありました。
唐門へ行きました。そこには麒麟がいました。
まさに大河ドラマ「麒麟がくる」でした。でも偶然はそれだけではありません。
大津そろばんの元祖・長谷川藤広。大河ドラマで主人公を演じたのは長谷川博己さんです。名字が同じです。
さらに明智光秀の妻・煕子(ひろこ)の「煕」に注目です。娘のたま(ガラシャ)は細川家へ嫁ぎました。
煕子の血を引く細川家の子孫には、細川護煕元首相がいます。名前の「煕」という字が同じです。
ただ、大河ドラマ「麒麟がくる」が終わってしまいましたので、この偶然で楽しめなくなるのが、ちょっと残念です。