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蓮如の息子の実如、実従によってできた町。大阪府枚方市

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 先週から蓮如の話をしています。
 今日は、蓮如に関連した話としまして、枚方(ひらかた)市の話を書きます。
 蓮如が京都市山科区で山科本願寺を建てた事で、本願寺の再興を果たしました。

 1500年代の初め頃、蓮如の息子で9代門主の実如は枚方に御坊を建てました。
 寺内町として枚方が栄えていく原点になりました。御坊は順興寺となりました。
 1559年になり蓮如の末子の実従が順興寺に入りました。

 淡々と文章を書きましたが、ちょっと脱線した話を書きます。
 実従が生まれたのは1498年。蓮如が亡くなったのは1499年(85歳)です。
 蓮如が84歳の時に生まれた子供です。この時の妻は5人目でした。
 蓮如には5人の妻との間には27人の子供がいました。
 僧侶とは思えない破天荒ぶりですね。

 閑話休題。
 その後、石山本願寺と織田信長との対決、豊臣秀吉の懐柔などで、本願寺の勢力が衰退していきますと、寺内町は衰退していきました。
 しかし、江戸時代になり、枚方は淀川の水運の要所になりました上、京街道の宿場町として発展を遂げました 

 江戸時代の本願寺。徳川家康が本願寺の勢力を削ぐために東西に分裂させました。
 枚方には順興寺を再興したお寺が2つあります。東本願寺の願生坊。西本願寺の浄念寺です。
 写真のお寺は浄念寺です。枚方へ行った時に立ち寄ったのですが、残念ながら、この時は、時間がなかったため、浄念寺の門だけを撮影しただけで願生坊へ行けませんでした。

 明治になり国鉄の開通や京阪電鉄が開通しますと、淀川の水運が衰退していきました。それと同時に宿場町としての役目を終えました。
 ちなみに京阪電鉄の創設委員長は、今年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公の渋沢栄一です。
 鉄道開通には多くの利点があり、多くの利益を生みます。しかし、産業構造の仕組みが変わると、既存の産業に中には衰退せざる得ない業種がありますだけに、全員が幸せになる事の難しさを感じますね。

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