Blog

「洞ケ峠を決め込む」の語源になった地。大阪府枚方市と京都府八幡市の境にある峠

ブログ

 3月14日、大阪府枚方市と京都府八幡市の県境にあります洞ケ峠を通りました。国道1号線です。

 この峠は筒井順慶の「洞ケ峠を決め込む」の語源になった場所です。
 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」で筒井順慶が登場しました。
 ドラマでは描かれていませんでしたが、明智光秀が本能寺の変を起こした後、中国大返しで明智光秀を討とうとした豊臣秀吉・黒田官兵衛連合体と明智光秀が山崎で衝突。山崎合戦がありました。
 明智光秀は筒井順慶に加勢するように要請しましたが、洞ケ峠に陣取っていた筒井順慶は動きませんでした。
 この時、筒井順慶が動かなかった事に対して、筒井順慶は有利な方に味方しようとしたと誤解され、日和見の事を「洞ケ峠を決め込む」と言うようになりました。
 ただ、実際には洞ケ峠に陣を張っていなかった説、少数の偵察隊だけがいたという説があるなど、本当の事はわかっていないようです。

 大阪府側には洞ケ峠茶屋がありました。そこには洞ケ峠と筒井順慶に関する看板がありました。
 京都府側には大阪工業大学と摂南大学の看板がありました。2つの看板の真ん中に筒井順慶の碑がありました。

 余談になりますが、洞ケ峠と山崎の合戦場との間には淀川が流れています。もし、筒井順慶が山崎へ行こうとしても、橋や大量の渡し舟がないと動けません。
 現在でも枚方大橋から天王山大橋の間は13Km離れています。現在でも枚方市楠葉から対岸へ渡るのは大変です。
 もし、仮に筒井順慶が陣を張っていて、明智光秀の要請があっても、すぐには駆けつけられなかった可能性はあるかもしれないですね。

Share

Category

Archive

Recent posts