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くらわんか五六市。くらわんか舟と枚方宿。大阪府枚方市

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 3月14日、枚方市へ行きました。宿場町・枚方宿で、当時の雰囲気を残している場所があります。
 宿場町を散策しますと「くらわんか五六市」が開催されていました。
 毎月、第2日曜日に開催されていますが、先月、先々月は緊急事態宣言のため開催されていませんでした。
 天気が良かった事もあり賑わっていました。

 ところで「くらわんか」は、江戸時代の淀川の海上交通の話に遡ります。
 大阪・京橋と京都・伏見を結ぶ三十石船が運行されていました。
 枚方周辺には、三十石船の乗客に餅や酒を売る人たちがいました。彼らが餅や酒を売るために乗った舟の事を「くらわんか舟」と言います。
 大阪夏の陣の時、徳川家康に物資の支援などで協力した事から、徳川家康から営業特権を得ました。
 彼らは三十石船の乗客に「飯を食わんのか。食えんのか」と言わんばかりに「くらわんか」と言って販売していました。
 本当に口が悪いのか、演技でやっていたのかは不明ですが、一種の娯楽になっていたようです。
 武士が「無礼な」と怒っても、「俺達は東照大権現様(注釈)の公認だ。文句あるか」と言って武士を笑い者にしたとか。

 「五六」の意味ですが、「くらわんか五六市」の主催者のサイトを見ますと理由が書いていました。枚方宿くらわんか五六市(主催者のサイト)
 元々、東海道53次ですが、京都から大阪まで延長された時、57次となり、56番目の宿場町という事で「五六」が名づけられました。

 3枚目の写真ですが旧・鍵屋の建物で、枚方宿の旅館でした。
 大阪から京都方面に向かう三十石船は、ここで一泊するため、舟の乗客が宿泊したり、陸路で歩いている人も利用しました。
 明治になり交通手段の発達のため、料理旅館になりました。1997年まで料理旅館でした。
 現在では市立枚方宿鍵屋資料館として、枚方宿の資料の展示などが行われています。
 くらわんか五六市では、くらわんか舟が販売していた餅(くらわんか餅)が販売されています。

 宿場町の枚方の過去と現代を楽しめました。

(注釈)
 東照大権現は徳川家康のことです。明治になるまで身分の高い人の名前を出すのは憚れるため、違った表現を使っていました。
 予断ですが時代劇の水戸黄門で格さんが印籠を見せながら「水戸光圀公にあらせられるぞ」の台詞がありますが、家臣が主君の名前を出すのは主君に対して失礼な行為になるため、本来はありえない台詞です。

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