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大河ドラマを違った視点で楽しむ方法。
大河ドラマは娯楽ですが、横道それた歴史の知識がありますと、より面白く見ることができます。
今日は、その話を書く事にします。
今年のNHKの大河ドラマは渋沢栄一を主人公の「蒼天を衝け」です。
でも、最後の将軍・徳川慶喜も主人公に近い形で登場していますね。
ところで今年で46歳の草彅剛さんが徳川慶喜を演じています。
ペリー来航の時に草彅剛さん演じる徳川慶喜が登場しました。
ペリー来航は1853年時。1853年時点での実際の徳川慶喜は16歳でした。それを40代半ばの草彅さんが演じていました。
「こんな老けた10代はいないぞ。無理がありすぎる」と突っ込みを入れたくなりますね。
演じています俳優さんと、実在の人物の当時の年齢を比べて見ますと、面白いですね。
10代の時から当時の大人たちの注目を浴びていた徳川慶喜。相当の切れ者だったのがうかがえますね。
徳川慶喜ですが、御三家の水戸家に生まれましたが、一橋家に養子へ行き、将軍候補になりました。
徳川家康の時代、本家の血筋が絶えても、御三家(尾張・紀伊・水戸)から将軍を出せるようにしました。
しかし、その流れを変えたのは暴れん坊将軍こと徳川吉宗でした。
紀伊家出身の吉宗。本家の血筋が絶えた事で将軍に就任しました。
吉宗の次男・四男、孫の家系で御三卿(一橋家、田安家、清水家)を創設しました。
そのため御三家の水戸家から将軍候補を出す事ができなくなり、一橋家の養子になりました。
御三卿の屋敷は江戸城内にありました。御三家と違い領地もなく、家臣の多くが幕府から派遣されました。特殊ですね。
そういえば徳川慶喜の側近になった平岡円四郎(堤真一さん)も幕府からの派遣家臣ですね。
ところで徳川慶喜の父親の徳川斉昭。竹中直人さんが演じています。徳川斉昭の肖像画を見ますと竹中直人さんとそっくりです。
偶然なのか、それとも意図的に竹中直人さんを選んだのかは謎ですが、似ているかどうかの視点で見ますと面白いです。
さて、大河ドラマでは徳川斉昭の事を「水戸のご老公」と呼んでいます。「水戸のご老公」と聞きますと、時代劇の水戸黄門(徳川光圀)を連想しそうですね。
実は徳川斉昭も水戸黄門です。黄門とは中納言の唐風の言い方です。そのため水戸黄門とは「水戸の中納言」の意味で、徳川斉昭も中納言になったからです。
さすがに番組が違いますので印籠みせる場面はありませんが。
「尊王攘夷」という言葉。天皇を敬うのに「皇」ではなく「王」になっています。
この言葉は、中国の古典から引用です。2500年ぐらい前の周王朝を敬いう言葉として使われました。王を尊び、夷狄(他民族)を排斥するという意味です。
当時は皇帝という言葉はありませんでした。2200年前の秦の始皇帝が最初に「皇帝」を名乗りました。人気漫画のキングダムですね。
征夷大将軍。夷狄を蹴散らす将軍という意味です。そのため幕府が尊王攘夷ではなく、開国の方針にすれば、将軍の存在意義があるのかとなります。
とりとめない文章になりましたが、横道それた歴史を知りますと大河ドラマがより楽しく見れますね。