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都市は城壁に囲まれている話。ソウル編

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 コロナのため海外旅行が行けなくなっていますので、気分だけでも海外旅行の話を書きます。
 2011年5月、韓国ソウルへ行った時の話です。

 1枚目の写真はソウルのシンボルの1つの崇礼門(通称・南大門)です。
 ソウルは600年以上の歴史のある都市で、1394年、李氏朝鮮の創始者・李成桂が都を開城(ケソン)からソウルに移したのがはじまりです。
 その時のソウルは城壁都市で18キロに及んで都市を取り囲んでいました。南側の城壁の出入り口として南大門が1395年に建設されました。
 しかし南大門は2008年に放火に遭いました。現在の南大門は2009年に再建されたものです。
 日本では城壁都市がないためピンとこないですが、中国・韓国、ヨーロッパでは城壁都市が一般的でした。
 李氏朝鮮も明にならった都市つくりを行いましたが、ソウルには山がありますため、四角形の碁盤の目のような都市にはなりませんでした。

 当時はソウルとは呼ばす「漢城」(ハンソン)と書きました。李氏朝鮮は、明の冊封体制に入っていたため、中国の都市という意味の「漢城」と名づけました。ソウルを横断する川は漢江(ハンガン)と名づけられました。

 日韓併合後、地名が漢城から京城になりました。都(みやこ)の意味の漢字「京」の城(都市)です。
 戦後、韓国語固有の言葉で都(みやこ)を意味する「ソウル」となりました。韓国語固有のため漢字表記はありません。
 ところで京城の名残りとして「京畿道」(キョンギド)があります。

 戦後、中国語ではソウルの表記を「漢城」を使っていましたが、李明博元大統領がソウル市長時代に、中国と台湾に対して「漢城はやめて欲しい」と要請し、現在ではソウルの中国語表記は「首爾」になりました。
 ソウル中心街にありました中華学校には「韓国漢城華僑小学」と書かれていました。漢城と表記していた時の名残りですね。

 ちょっとしたソウルの歴史の話を書きました所で、歴史的雰囲気が残っています北村(プッチョン)の紹介もします。
 3枚目、4枚目の写真です。韓国の伝統家屋が残っている場所です。韓国・ソウルの歴史を感じさせる場所です。
 ここは宮廷に勤める役人、貴族階級の両班が済む高級住宅地でした。

 城壁マニアでない上、色々な所を観光するため、城壁巡りする時間はありませんでしたが、少しでもソウルの歴史を知っていますと、ソウル観光も楽しくなりますね。

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