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イギリスは島国?? 意外と大陸と関わっていた歴史。
2016年6月23日は、イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票が行われた日です。
つい最近の出来事だと思いそうですが、5年前の出来事だけに、月日が経つのが早いと感じますね。
イギリスは島国で、大陸とは違った側面があると言われています。そして日本と同じ島国という事で、類似点があるとも言われています。
現在のイギリス外交を見ますと、自分の都合の良くなるように、大陸とは距離を置きながら接していたりします。
19世紀は大英帝国として世界に君臨し、どの国とも同盟を結ばずに「光栄ある孤立」政策を行っていました。大陸とは違うと言わんばかりですね。
しかし、さらに歴史をさかのぼりますと、ちょっと違った側面を見る事ができます。
大陸と大きく関わっていた、もしくは関わざる得なかった歴史です。
軽く古代からのイギリスの歴史に触れてみます。
ケルト人が住んでいた島国に、西暦43年、ローマ帝国がやってきました。イングランドを占領し、ローマの属州にしました。
しかしローマは衰退していき、409年にイングランドから撤退。そこにアングロサクソン人が入ってきました。
このアングロサクソンは、ゲルマン民族大移動の一派でもあります。
8世紀からは北欧からノルマン人(バイキング)がイギリスやフランスなどを攻めてきました。
1066年、フランスのノルマンディー公ウィリアムがイングランドへやってきて王国を作りました。ノルマンディー公ウィリアムはノルマン人の子孫になります。
そして今の王朝・ウィンザー朝ですが、元を辿っていきますとノルマンディー公ウィリアムにつながります。
ただし、イギリス王室の場合、女系を認めていますので、男系ではつながりません。
余談になりますが、イギリスをはじめとしますヨーロッパの王家は「家」の概念のため、家を守るなら男性でも女性でも良いという考えです。
日本でも商売人の家ですと、婿養子を迎える事がありますのは、家業を守る(家を守る)という発想です。
日本の皇室の場合、「氏」(血筋)の概念です。そのため男系です。
閑話休題。大陸出身者の王朝の始まりです。12世紀、イングランド王のヘンリー2世がアリエノール・ダキテーヌと結婚しました。
アリエノール・ダキテーヌはフランスに広大な領地を持つフランス貴族の娘でした。ルイ7世と結婚しましたが、後に離婚。
そしてイングランド王・ヘンリー2世と結婚したため、イングランドはフランスに国土を持つことになりました。棚ぼたです。
しかし、ヘンリー2世の息子のジョン王が無能すぎたため、フランスにあった領地はどんどん奪われました。
そのため失地王という汚名までつけられました。マグナカルタ(イギリス大憲章)の由来になったのもジョン王です。
まだ、この時は大陸に領土は残りました。
イングランドと大陸との関わりは続きます。
1337年、イングランド王のエドワード3世がフランスの王位継承権があると主張。そして戦争にまで発展しました。100年戦争です。
終盤、ジャンヌダルクが登場したので有名ですね。100年戦争は1453年に終わりました。この時、カレーを除いて、ほとんど大陸の領地を失いました。
ヨーロッパの場合、王族同士の婚姻は普通でした。政略結婚です。そのためイギリス王とフランス王が親戚同士というのは普通にありました。
国家間の戦争よりも、親戚同士の相続を巡る争いといった感じです。
オランダ王室によるイギリス王室乗っ取りもありました。
イギリスの名誉革命の後、オランダ国王のウィリアム3世と、イギリス王室のメアリ2世が結婚し、2人の国王による統治が始まりました。
学校の歴史では権利の憲章で習いますね。オランダとイングランドは同君連合になりましたが、ウィリアム3世の死後、同君連合は解消されました。
軽くイギリスの歴史を見ても、とても大陸とは関わらず独自路線を貫いたとは言えない感じですね。
日本と異なる点は、大陸との距離の近さにあります。
ドーバー海峡は狭いですし、ドーバー海峡の下には鉄道のトンネルがあり、ユーロスターでロンドン・パリ、ロンドン・ベルギーが結ばれています。
日本とイギリスは島国でも、歴史を見ますと大きく異なりますので、同じような視点で見る事はできないですね。