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帝国の墓場・アフガニスタンとソ連崩壊の話
1991年8月19日はソ連でクーデターが発生し、当時大統領だったゴルバチョフ氏が監禁されました。
しかし、ロシア共和国大統領だったボリス・エリツィンが戦車の上に乗って抵抗を宣言するなどをし、クーデターは失敗に終わりました。
このクーデターをきっかけにソ連崩壊に向かい、同年にゴルバチョフ氏が大統領職務の停止を宣言し、ソ連が消えてなくなりました。
ソ連崩壊の要因は色々ありますが、その1つにアフガニスタン侵攻があげられます。
長い前置きをしました所でアフガニスタンの話を書きます。アフガニスタンは「帝国の墓場」とも言われています。
19世紀、大英帝国と帝政ロシアがグレートゲームを行っていました。ロシアは海洋進出を目論見、それを阻止する大英帝国という構図でした。
ロシアが東へ進出していき、インド洋を狙おうとしました。この時、大英帝国は植民地だったインドの防衛のため、アフガニスタンを占領する事を考えました。
1838年の第一次アフガン戦争です。しかし、アフガニスタンでの抵抗は凄まじく大英帝国は完敗。その後も第二次アフガン戦争、第三次アフガン戦争が起こり、大英帝国は敗北しました。
大英帝国によるアフガニスタン侵攻。ジャーロックホームズが相棒・ワトソンと出会う時、ワトソンがアフガニスタンからの帰還した事を言い当てた下りがあります。歴史と小説が結びつくと面白いですね。
大英帝国が痛い目にあった教訓は生かされる事はなく、1979年、ソ連によるアフガニスタン侵攻が始まりました。
10年に及びましたが、大やけどを負って撤退しました。撤退を決断したのはソ連最後の指導者のゴルバチョフ氏でした。
10年に及び、膨大な費用と人員を投入した事もあり、ソ連崩壊への遠因につながりました。
今度はアメリカが入っていきましたが、ご存知の通り泥沼化していき、ついにトランプ政権時にアフガニスタンからの撤退を表明。バイデン政権でも撤退は変わりませんでした。まるでアリ地獄のようなアフガニスタンです。
先日、米軍の撤退の最中、タリバンがカブールに侵攻し、あっけなくアフガニスタン政府が崩壊しました。
ところで7月28日、中国・天津で王毅外相とタリバン幹部による会談が行われました。
中国の王毅外相、天津でタリバン幹部と会談(産経新聞)
この時の会談で何が話し合われたのかは定かではありません。
そして8月16日、中国外務省の華春瑩報道官は「アフガニスタンとの友好的で協力的な関係を引き続き発展させていく用意がある」と明らかにしました。
中国、タリバンと「友好関係」発展の用意あると表明(フランス AFP通信の日本語版)
今度は中国がアフガニスタンに関わる可能性がでてきました。中国がアフガニスタンに深く関わって成功するのか、アリ地獄に巻き込まれるのか。それとも単に表面的な関わりで深入りしないのか。国際情勢のド素人の私には、今後、どうなるのかはわかりません。
ただ、アフガニスタンの近現代史を少し紐解くだけでも一筋縄ではいかない所だという事は感じられますね。