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憲政の常道。与党第一党の党首が首相になる話。
自民党の総裁選挙が話題になっています。難しい政治の話は私にはわかりませんが、次期首相になる人が選ばれますので気になる所ではあります。
ところで「自民党総裁選挙」と「次期首相」を結びつけて書きました。現在、与党第一党の党首が首相になるが当たり前になっていますが、実は法的根拠はありません。あくまでも慣習だからです。
この慣習を「憲政の常道」と言われています。ただ戦前に確立された「憲政の常道」と、現在では違う点があります。
戦前の日本はイギリスの議会制内閣を目指していました。二大政党制ですが数の論理ではありませんでした。
「憲政の常道」では選挙で勝ちますと、第一党の党首が首相になりました。しかし、何らかの不祥事などがあり内閣総辞職があった場合、国民の支持を失ったという事で、政権を第二党に渡すのが憲政の常道です。
しかし、戦後になり、内閣総辞職があっても政権交代が起こらないので、この点は異なっています。
明治時代、日本は欧米に追いつけとばかりに近代化を行うべく議会と帝国憲法ができました。
いきなり政党政治、普通選挙を行うと大混乱が予想されました。内閣は衆議院から選ばれるわけではなく、元老達によって選ばれました。
現憲法では総理大臣は国会議員(67条2)、その他閣僚の半数は国会議員から選出(68条1)と規定されていますが、帝国憲法には総理大臣と国務大臣の選出条件は規定されていませんでした。
それでも政党政治を行うため、伊藤博文が明治33年(1900年)に立憲政友会を設立したりしました。
欧米のような政党政治を早く実現させたいと考える元老の伊藤博文や西園寺公望達。まだ政党政治は早すぎると懸念する山県有朋をはじめとする元老達。
それでも少しづつ政党政治の方向へ進んでいき、大正時代になり政党政治がはじまりました。
そして「憲政の常道」は1924年の加藤高明内閣から1932年の犬養毅内閣まで続きました。
戦後の現行憲法下でも憲政の常道が残りました。与党第一党の党首が首相になるという慣例です。ただ法的拘束力がないため、戦後3人、例外がありました。
細川護熙元首相、羽田孜元首相、村山富市元首相です。3人とも連立政権では与党第一党の党首ではありませんでしたが、首相になりました。この辺りの事情は、政治の素人の私にはわかりませんが、慣例破りの出来事だった事は言えます。
憲政の常道。ドイツではなさそうです。メルケル首相は2018年に党首を辞任していますが、首相の地位のままです。議員内閣制を採用していても国によって違いますね。