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フランス怖い。ギロチンの話。

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 Wikipediaで「9月10日」を見てみましたら、1977年フランスで最後のギロチンが行われると書いていました。
 ギロチンは想像するだけで恐ろしいですが、人権重視のためにできた死刑方法と言われています。
 ギロチンだと一瞬で命が奪えるため、フランス革命最中の1792年に受刑者負担軽減のためにはじまりました。

 それまでのフランスの処刑方法は平民は絞首刑、貴族は首切りでした。斬首は名誉ある処刑でした。
 1789年の人権宣言により国民の平等が謳われたたうえ、貴族も平民も同じ処刑方法になりました。
 日本でも武士のみ切腹が認められたのと同じですね。

 そのギロチンですが早速大活躍(?)しました。ルイ16世、マリーアントワネットなどがギロチン台に送られました。
 フランス革命の初期は国王(ルイ16世)と共に改革していく方向でした。ルイ16世は国民からの支持を得ていました。
 しかしルイ16世が改革の行き過ぎに不満を持った上、改革に不安を覚えたため国外逃走を図りました。ヴァレンヌ逃亡事件です。しかし、失敗したため権威が失墜した上、国民の支持も失っていきました。
 それをキッカケに立憲君主制から共和制に向かっていき、ルイ16世、マリーアントワネットの処刑につながりました。

 フランス革命は自由・平等・博愛といった穏やかな物ではなく、狂気に満ちていました。
 高校の化学で習います質量保存の法則を発見したラボアジェがいます。近代化学の父と呼ばれたラボアジェもフランス革命の中、ギロチンにかけられました。徴税請負人だったため、ジャコバン派に処刑されました。フランスが誇る最高の頭脳まで処刑する事態でした。

 ジャコバン派は革命政府の派閥のひとつです。派閥抗争がありジロンド派と対立していました。
 革命政府のお得意の内ゲバが起こり、ロベスピエール率いるジャコバン派が実権を握り恐怖政治をはじめますが、穏健派によるクーデター(テルミドールのクーデタ)でロベスピエールは捕らえられギロチンで処刑される事になりました。穏健派が敵対派閥を処刑する。どこが穏健派なのか突っ込みを入れたくなりますね。

 よくあります誤解でフランス革命は王権を倒した正義の戦いのように言われる事がありますが、国王を支持していた国民も多かったです。
 国王時代には低かった税率が革命によって上がったり、徴兵制度が設けられたりなど、負担が増えたのも事実です。
 ヴァンデーの反乱もいくつかの説がありますが、反革命だったとも言われています。

 そんなギロチンでしたが1977年を最後に廃止されました上、死刑も廃止になりました。
 ところで2018年、フランスの実業家が150年前のギロチン台を競売で落札した事がニュースになりました。
 ギロチンの競売、フランスで物議 105万円で実業家が落札(フランスAFP通信の日本語版:2018年7月12日)

 日本人だと忌み嫌って落札どころか競売すらしないですが、フランス人の思考回路は日本人と違いますね。もちろんフランスでも物議は醸し出しました。

 ギロチン。物騒な話題になりましたがフランス革命と切っても切れない事が垣間見えますね。

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