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先願主義でなかったアメリカの特許制度。2011年9月15日までの話

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 丁度、10年前、アメリカの特許制度が変わりました。その話をします。

 1876年2月14日、ベルとグレイが同じ日に電話の特許を申請しました。しかし2時間先に出願したベルが特許を取得しました。有名な話ですね。
 この話を聞くと「2時間の差でグレイは負けた」と思うだけですが、当時のアメリカの特許制度の話を知ると、突っ込みを入れたくなります。

 当時のアメリカの特許は先願主義ではなく、先発明主義でした。
 出願では先を越されても、発明したのが早い事が証明できれば、発明が早い者が特許を取得できました。
 グレイは特許を扱う役所に対して異議申し立てを行う事もできたのですが、その話は聞かないですね。
 素直にグレイが負けを認めたのか、それとも先に自分が発明した事を立証できなかったのか。その辺りを考えますと興味深いですね。

 それ以外にもアメリカの特許制度には、他にも問題がありました。サブマリン特許問題です。
 以前のアメリカの特許制度では、出願されても特許成立まで内容が公開されませんでした。しかも多くの国では出願日から20年で、出願日を起点に特許有効期間が決まります。しかしアメリカでは特許成立日を起点にしていました。
 そのため出願してから特許成立までわざを遅らせる事が発生しました。どうやって特許成立日をズラすのか、その方法はわかりませんが、意図的に遅らせる事で、新しい技術が広がり陳腐化した後で、特許を成立させる事が行われてきました。
 そのため第三者は特許出願中は内容がわからないため、陳腐化した技術なので、特許権侵害しないと安心して使うと、突如として特許成立し、特許権侵害で訴えられるという事が起こっていました。
 このサブマリン特許問題は今ではありません。1996年には特許権の起点が特許成立日から出願日になりました。そして2000年に出願から一定期間すぎますと特許が成立していなくても内容が公開されるようになりました。

 そして先発明主義も問題だという事で見直しの動きがでてきて、丁度、10年前の2011年9月16日に改正特許法が発効されました。

 余談になりますが、ベルの電話の発明を聞いて駆けつけた日本人がいます。その1人が金子賢太郎です。
 金子賢太郎は伊藤博文と一緒に帝国憲法の草案を作成した人物です。新しい技術に興味を持つ一方で憲法制定にも関わる。何でもできる人のようですね。
 最初に電話に目をつけたのが日本人のようで、ベルから見て最初に電話で話された外国語は日本語のようです。
 ベルと金子賢太郎。電話の縁があって、日露戦争の前、日本が外債を募集した時、アメリカの投資家は興味を持っていませんでしたが、ベルが宣伝したおかげで、日本は資金調達ができました。

 特許と電話。少し知るだけでも面白いですね。

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