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建築家・ヴォーリズが愛した近江八幡。滋賀県近江八幡市

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 1月9日に近江八幡へ行きました。
 明治以降の近江八幡の発展に欠かせないのがアメリカ人・ヴォーリズの存在です。建築家として有名です。

 1880年、ヴォーリズはアメリカ・カンザス州レブンワースで生まれました。建築家を目指していましたが、キリスト教の伝道活動を志すようになりました。
 1905年(明治38)、24歳の青年・ヴォーリズは英語教師とキリスト教の布教を兼ねて、近江八幡に派遣されました。

 ヴォーリズは近江八幡の地に惚れこみ定住する事になりました。
 近江兄弟社を設立に関わりました。アメリカのメンソレータム社からメンソレータムの販売権を取得しました。
 ただ、1974年に経営破綻しました際、メンソレータムの販売権はロート製薬に移りました。
 その後、経営再建しながらメンタームを販売するようになりました。

 近江兄弟社の資料館がありますが残念ながらコロナの影響で休館していました。コロナが完全に落ち着いた時に、行ってみたいです。

 建築家でもありましたヴォーリズは様々な建物を設計しました。近江八幡の中心街にあります旧八幡郵便局はヴォーリズが設計した物です。
 比較的、弊社・本社に近い場所の建物ですと関西学院大学、神戸女学院の建物もヴォーリズが設計した物があげられます。

 ヴォーリズは社会活動も行いました。そのひとつに教育があげられます。現在のヴォーリズ学園の前身を設立しました。

 日本、近江八幡に骨を埋める気持ちでいましたヴォーリズ。そんな中、日米関係が悪化を辿り太平洋戦争に向かっていきました。開戦間近の1941年、アメリカ人のヴォーリズは日本に帰化しました。

 戦後もヴォーリズは社会貢献を行いました。近江八幡市の名誉市民になりました上、ヴォーリズが縁で、近江八幡市はヴォーリズの故郷・レブンワースと姉妹都市になりました。

 近江商人の発祥の地で活躍したアメリカ人・ヴォーリズ。もしかして社会貢献を大事にする近江商人と、同じく社会貢献を行ったヴォーリズの相性が抜群だったのかもしれないですね。

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