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鎌倉時代は、ほぼ男女同権だった。大河ドラマ「鎌倉殿13人」の話

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 今年のNHKの大河ドラマ「鎌倉殿13人」がはじまりました。今回も面白いですね。
 今回は三谷幸喜さんの脚本なので、どういう風に描いていくのか、これからが楽しみですね。
 そして北条政子役は小池栄子さんです。ぴったしですね。

 ところで鎌倉時代は、ほぼ男女同権の時代でした。
 この時代、家長は男性ですが、家長が亡くなると、表向きは家長は息子になりますが、実質の家長は妻になります。息子からみたら母親です。
 源頼朝は平治の乱の後、父親の源義朝と一緒に殺される運命でした。しかし源頼朝の母親(由良御前)は熱田神宮の大宮司家の娘でした。熱田神宮は平清盛の母親とつながっていました。
 そこで熱田神宮は源頼朝の命乞いのため平清盛の母親に懇願しました。その結果、平清盛の母親は息子の清盛に対して「まだ14歳の少年を殺す気か」と言いました。家長である母親に逆らえないため、平清盛は源頼朝の命を奪う事はせずに伊豆に流す事になりました。

 もし、母親が実質的家長でなければ、平清盛はためらいもなく源頼朝を殺してしまい、鎌倉幕府は成立しなかったかもしれない上、今年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」も製作される事はなかったでしょう。

 男女同権に加え、父親亡き後は母親が実質的な家長になるという事を頭に入れますと、源頼朝亡き後、実質的な家長として北条政子が尼将軍として力を持つのも合点がいきます。

 ところで北条政子は気の強い女性です。
 北条政子が源頼朝に猛烈にアタックし、そして半ば駆け落ちで結婚しました。
 夫の源頼朝が浮気をした時、怒り狂った北条政子は部下に命じて浮気相手の家を破壊する事を行っています。強烈ですね。

 父親の北条時政が邪魔だと思ったら隠居に追い込みました。承久の乱の時、朝敵になると怯える弟の北条義時や甥に北条泰時に対して「ひるむな」と言わんばかりに立ち上がり、鎌倉武士の士気を盛り上げ、朝廷軍を破りました。

 ところで鎌倉時代は、ほぼ男女同権だった事をうかがわせるのが、北条泰時が武士の慣習法を明文化した「御成敗式目」にあります。
 財産相続で妻・妾に対しても相続権があると明記されています。妾にも相続権がある事は、その頃の鎌倉武士の浮気は日常だった事もうかがえますね。

 そして男女同権をうかがわせる別の事例として女武将がいた事も挙げられます。
 以前のブログ(義仲寺。木曽義仲と巴御前との間の夫婦愛の話。)で紹介しました木曽義仲の妾の巴御前。木曽義仲と一緒に甲冑姿で戦場へ行き戦いました。

 女性が武将になるのは日本の感覚では違和感がないですが、中世ヨーロッパではご法度でした。
 フランスではジャンヌダルクが甲冑を着て劣勢だったフランスを立て直しましたが、その後、イングランドの捕虜になりました。この頃、身代金を払えば釈放してもらえるのですが、フランス王・シャルル7世はジャンヌダルクを見捨てたため、ジャンヌダルクは火あぶりになりました。
 ジャンヌダルクの場合、「神の声を聴いた」という発言があったため、ローマ教会からは危険視されました。それだけでなく女性が男装した事や女性が戦った事で、罪に問われました。中世ヨーロッパは男尊女卑丸出しでした。

 日本が男尊女卑になったのは江戸時代に朱子学という男尊女卑の思想丸出しの儒教が浸透したためです。

 鎌倉時代は、ほぼ男女同権。それを頭に入れてドラマを見ますと、より面白くドラマを見る事ができるかもしれないですね。

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