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旧・安土町のマンホールは永楽通宝(明の時代の銅銭)。滋賀県近江八幡市安土町。

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 各地を訪れる際の楽しみの一つがマンホールの絵柄を見る事です。その土地の特徴を描いていたりしますので、見るだけでも面白いです。
 旧・安土町のマンホールは永楽通宝です。なんと明の時代の皇帝・永楽帝時代に鋳造された銅銭です。
 今の感覚ですとドルやユーロの硬貨の絵柄がマンホールになっているのと同じです。

 日本の通貨の歴史を見ますと、奈良時代に国産の銅銭として富本銭、和同開珎が鋳造されましたが、あまり使われませんでした。
 その後、貨幣経済が浸透していきます際、宋銭、明銭が使われるようになりました。平たく書きますと「国産の銅銭を鋳造するよりも輸入した方が手っ取り早い」という事で、宋、明から銅銭を輸入しました。
 今の感覚ですとドルやユーロを日常生活の支払いに使っているのと同じですね。

 ところで鎌倉時代の日本は金・銀が採取できた上、日本刀、材木なども輸出していました。そして銅銭をはじめ香料、陶磁器などを輸入していました。
 今ですと金・銀の流出という問題になりますが、当時は無尽蔵にあると錯覚していた感じだったかもしれないですね。

 織田信長は経済を重視していました。長篠の合戦(3段構えは作り話が濃厚ですが)で鉄砲を大量に準備する際、経済力があったからこそ可能でした。
 楽市楽座は六角氏が行った事ですが、経済重視の織田信長は、それを取り込みました。そして、なんと織田信長の刀の鍔が永楽通宝でした。お金大好き人間だったのかもしれないですね。

 最後に長い余談を紹介します。
 永楽帝は明の三代目の皇帝です。洪武帝が明を建国。首都は南京にしました。3代目・永楽帝の時代に首都を北京にしました。
 中華帝国では「京」がつく地名は首都のみです。しかし洪武帝に敬意を表して、南京の名称を変えずに副都心とし、南京という名称が残りました。
 そして北の首都という意味で北平だった所が「北京」になりました。清王朝になった際、南京という名称が消えました。首都でないためです。

 今の中華人民共和国。北京と南京があります。
 孫文が中華民国臨時政府を設立した際、首都を南京にしました。南京という名称が復活しました。
 その後、南京は首都でなくなりましたが、南京の名前は消えずに残っています。「京」がつく地名は首都のみという大原則を破っていますだけに、何かありそうですが、詳しい事はわかりません。

 日本のマンホールの絵柄が永楽通宝なので、中国人が見ますとビックリするかもしれないですね。

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