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風光明媚と謳われた豊浦。滋賀県近江八幡市安土町

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 以前、安土町へ行った時の話です。
 安土城跡の近くに琵琶湖の内湖・西の湖の畔周辺の地名を豊浦といいます。

 名前の由来は古く元明天皇の時代に遡ります。
 元明天皇がこの地を行幸される際、船で移動していました。この地に到着した時、豊かな地だったので「豊浦」と名づけました。
 元明天皇は平城京遷都(710年)を行った天皇なので1300年前の話です。749年、聖武天皇がこの地を奈良の薬師寺に寄進したと言われています。
 祖母の元明天皇、孫の聖武天皇がかかわっていた地になります。

 西の湖は1942年の琵琶湖の内湖の干拓の際、治水対策の面から干拓を免れました。
 元明天皇の気分(?)を味わおうと西の湖周辺を散策しました。豊かな浦なので魚が大量に獲れたと思いそうですが、1300年前に投網などの網があったのかどうか、わかりません。釣りで魚を獲っていたか、銛で突いていたのか、鵜飼なのか(長良川の鵜飼が1300年前にあったという記述があります)。漁業だけでも色々想像しそうですね。

 すぐ近くの活津彦根(いつくひこね)神社へ行きました。創建不明ですが元明天皇の時代にはあったようです。
 本殿は江戸時代初期(1626年)に建てられました。400年前です。1300年前の元明天皇の名前が出てきましたので400年は大して古くないと錯覚しそうですね。

 本殿のすぐ側に藤原豊成が詠んだ歌が刻まれた石碑があります。
 藤原豊成は聖武天皇時代の末期に右大臣になった人物です。藤原四兄弟の長男・藤原武智麻呂の息子で藤原南家になります。
 ただ、あまり有名ではなく、弟の藤原仲麻呂の方が有名です。藤原仲麻呂は伯母の光明皇后(藤原不比等の娘)と結託して政治を牛耳った人物です。
 しかし光明皇后の崩御後、後ろ盾を失い、孝謙上皇と道鏡が追い詰めたため、藤原仲麻呂の乱(孝謙上皇が仕掛けたとも言われていますが)が起こり、惨敗後、殺されました。
 弟が権力を握ったり反乱を起こしたため、左遷されたり、隠遁生活を余儀なくされたりするなど弟の振り回されましたが、最後には右大臣として復帰しました。

 西の湖の畔で、のんびり景色を楽しみながらも歴史を味わうことができました。

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