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ゴシック体、ゴシック様式のゴシックの由来はゲルマン民族の一派「ゴート人」

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 字体でゴシック体があります。建築様式でゴシック様式があります。
 建築に関するウンチクが書ける知識は全くありませんので割愛いたします。

 ところで題名にありますようにゴシックは、ゲルマン民族の1つゴート人に由来します。
 1400年頃のイタリアで、ゴート人の文化、ゴート様式でゴシックという概念が生まれました。

 ゴシックという概念が生まれた背景を知るには、少し歴史を知る必要があります。

 2世紀、3世紀はゴート人は黒海北部やクリミア半島に住んでいました。今のウクライナです。
 しかし東方からフン族などが西へやってきましため、逃げるようにゴート人は西へ向かいました。これがゲルマン民族大移動です。
 ゲルマン民族は東方からやってきた騎馬民族には勝てませんでしたが、西側の民族は弱かったため、どんどん西へ進みました。
 ゴート人ローマに入りました。西ローマ帝国はグダグダ状態でした。そんな中、ゲルマン人の傭兵隊長・オドアケルが476年にクーデターを起こしローマ皇帝を追い出し、西ローマ帝国は滅びました。
 オドケアルが建国したイタリア王国ですが、493年にゴート人によって攻められ、東ゴート王国になりました。
 東ゴートは、のちに東ローマ帝国・中興の祖のユスティニアヌス帝によって滅ぼされます。

 ところでローマ世界はキリスト教の普及が進むにつれ、科学よりも神の教えが重視されていきました。そのため科学・工学、芸術が廃れていきました。そして古代ギリシャ・ローマ文明は、ヨーロッパでは忘れ去られていきました。
 その一方で、ギリシャ・ローマの文化を高く評価していたのは、バグダットに首都を置くイスラム教の王朝・アッバース朝でした。西はヨーロッパ、東はインドから学者を集めました。古代ギリシャ、古代ローマ時代の文献のアラビア語への翻訳も活発に行われました。古代ギリシャ・ローマ文明は、アラビア世界で受け継がれました。

 1096年の十字軍遠征をきっかけに、何度も十字軍を送ることで、アラビア世界の文化がヨーロッパへ流入しました。
 その際、古代ギリシャ・ローマ文明の文献もヨーロッパに入ってきました。現在、古代ギリシャ・ローマ文明の様子を知る事ができるのもアッバース朝のおかげです。ソクラテスやプラトン、ピタゴラスの定理、アルキメデスの原理。もし、アッバース朝がなければ、彼らの名前や偉業を知る事はなかったかもしれません。

 アラビア世界からもたらされた古代ギリシャ・ローマ文明は、ヨーロッパ人を刺激。ルネサンスにつながりました。
 そして中世になり、イタリアで「古代ローマを滅ぼした野蛮なゴート人」ということで、ゴート人が使っていた字体をゴシック体。ゲルマン風の建築様式をゴシック様式と呼ぶようになりました。
 当時のイタリア人は、自分達の先祖がキリスト教を広めてローマ文明を衰退させたのに、あたかもゴート人がローマ文明を滅ぼしたような形になっていますので、責任の擦り付けとしか言い様がないですね。

 現在ではウクライナ南部にゲルマン人が住んでいたといってもピンと来ないですが、1800年前はゴート人達が住む地でした。クリミア半島の歴史も複雑なのも垣間見えますね。

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