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越後屋、お主も春よのう。真っ当な越後屋と三井高利

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 関西は桜の季節がやってきました。
 今朝、通勤途中にあります桜並木を撮影しました。まさに春といった感じです。

 ところで、2015年、東京にあります三越本店の建物の壁面に「越後屋、お主も春よのう。」のキャッチコピーの横断幕が登場し笑いを誘いました。
 三越は三井と越後屋を組み合わせたもので、正真正銘の越後屋だからです。

 時代劇では越後屋は悪徳商人の代名詞で、悪徳役人から「越後屋、お主も悪よのう。」の台詞が出てきます。
 真っ当な越後屋にとっては「印象が悪くなるからやめてくれ」になりますが、三越は、それを逆手にとってギャグにして笑いを誘いました。

 三越ですが、江戸時代初期、三井高利が越後屋という屋号で呉服屋を始めた事に由来します。
 伊勢松阪(現・三重県松阪市)の出身で、若い時に江戸へ出て兄が営んでいた呉服屋で奉公をしました。その後、松阪に戻り母の面倒を見ながら金融業を営みました。
 高利が松阪に戻ったのは、才覚を恐れた兄が、母の面倒を見るという口実で、体よく高利を松阪に追い返したとも言われています。高利は江戸進出をうかがっていました。

 兄が亡くなった後、母の承諾を得て、兄の呉服屋を引き継ぎました。ここから三井高利の快進撃がはじまります。
 当時、決済は掛売でした。そして反物単位での販売でしたので、顧客は大量購入できる大名や武士や商家でした。そこで現金払いを始めた上、反物単位で売るという販売方法を改め、切り売りを始めました。
 反物単位だと庶民にとっては量が多すぎる上、価格も高かったです。しかし、小分けして販売する事で、必要な量だけ購入できる上、値段が安く購入できるため、庶民がこぞって購入するようになりました。
 それだけではありません。掛売りから現金取引になったため、資金繰りが良くなった上、掛売りでしたら売掛金の管理に手間がかかったり、売掛金の回収ができないというリスクがありましたが、手間やリスクをなくす事ができました。合理化ですね。

 今までの商習慣をぶっ壊した革命です。もちろん同業者からは嫌われましたが、消費者からは支持されました。
 そして数々の同業者からの嫌がらせがありましたが、三井高利率いる越後屋が幕府御用達の商人になったため、同業者は手も足も出せなくなりました。
 もちろん、三井高利は幕府の役人へ山吹色のモナカ(賄賂)を渡したのではなく真っ当な商売をしていたため幕府信頼を勝ち得たのです。
 真っ当な越後屋。三井高利と三井越後屋(三越)です。

 三井高利が屋号を越後屋にした理由。祖父の三井高安は近江の六角に仕える武士でした。武家官位が越後守に由来するそうです。
 織田信長が六角を攻めたため、三井高安が松阪まで逃げました。そして武士を捨て松阪で商人になりました。
 屋号は越後屋ですが、特に越後(新潟)とは関係はなさそうです。

 ところで時代劇で悪徳商人が越後屋になったのか。謎ですね。
 時代劇・水戸黄門は「越後のちりめん問屋の隠居で、光右衛門と申します」の台詞がありますが、なぜ越後なのか。これも謎ですね。

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