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神戸文学館。神戸市灘区
5月の連休中に神戸文学館へ行った話を書きます。
この日、神戸文学館の横を通りました。文学に無縁で、ほとんど小説を読まない私ですが、洋館に魅せられて中に入ってみる事にしました。
この洋館ですが、元々は関西学院大学の礼拝堂でした。戦争中、空襲によって屋根が抜け落ちました。1993年に復元工事が行われ今にいたっています。
1995年の阪神大震災がありましたが礼拝堂は無事でした。
ここまで読んで「なんで関西学院大学の礼拝堂が神戸にあるねん」と思われる方がいらっしゃると思いますので、少し関西学院大学の歴史を紹介します。
1889年(明治22年)、アメリカの宣教師のウォルター・ラッセル ・ランバスによって設立されました。今の王子動物園の辺りです。
1904年に礼拝堂ができました。1929年に関西学院大学は西宮市の上ヶ原に移転しましたが、礼拝堂が残りました。その後、神戸市が買収。市立図書館などを経て文学館に至っています。
長い前置きはこれぐらいにしまして、中に入りました。常設展は撮影禁止でしたが、企画展「蘇る神戸ゆかりの文豪たち」は撮影が可能でした。
企画展示では文豪とアルケミストの文豪のキャラクターで、神戸とゆかりがあります文豪とゆかりの地の紹介の展示がありました。
高校の国語では習わない文豪に関する話があり、文学に興味がなくても楽しめる展示でした。
正岡子規のキャラクターはバットを持っていました。野球をやっていたためです。正岡 子規 – 野球殿堂博物館(公益財団法人:野球殿堂博物館)
そして正岡子規が結核を患っていたのは知っていましたが、須磨保養院で結核治療を行っていたのは知りませんでいた。そのため神戸ゆかりの文豪です。
ところで高校の国語で正岡子規とホトトギスを習います。「子規」は「ホトトギス」とも読みます。そして正岡子規は自分のペンネームをホトトギスにした理由ですが、結核の喀血する様子が、ホトトギスの鳴き声に似ているので、ホトトギスにした話があります。病気までもネタにしてしまう不屈の精神のようですね。
谷崎潤一郎のキャラクターは長髪で紫の着物を着ていました。
谷崎潤一郎は関東大震災で被災し、関西(阪神間)に避難しました。阪神間が気に入り、その後は西宮・芦屋・神戸を転々としました。
文学作品といいますと敷居が高い感じがしますが、文豪たちの人間としての色々な面を知りますと興味が持てますね。
最後に関西学院大学の「関西」は「かんせい」と読みます。
関西では通称「かんがく」と呼びます。ただ、関東ですと関東学院大学の事を「かんがく」と呼びますので、関西人と関東人が「かんがく」と言うと、どっちの大学を指しているのか混乱しそうですね。