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平清盛と神戸。印象操作により悪人にされた人物

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 5月5日、神戸市兵庫区にあります兵庫運河周辺と清盛塚へ行きました。
 平清盛は学校の教科書では悪人みたいに書かれていますが、神戸にとっては神戸港の礎を築いた恩人でもあり偉人でもあります。

 兵庫運河にかかる橋とイオンモール神戸南の入り口に「清盛君」がいました。
 その近くには清盛塚と呼ばれる十三重塔があります。十三重塔は北条貞時により建立されたと言われています。
 北条貞時は、平清盛が亡くなってから100年以上経った時の第九代・執権になります。蒙古襲来時の執権・北条時宗の息子です。
 北条貞時が平清盛の供養のために建立したというのは伝承なので、事実かどうかはわかりません。ただ事実だとしたら、なぜ供養したのか。
 100年前に敵の大将を供養する理由は何なのか興味津々ですね。平清盛のお墓はどこにあるのですか(神戸市役所)

 ところで平清盛は成り上がり貴族で傲慢だと言われることがありますが、真っ赤な嘘です。後世の印象操作です。
 平清盛の父親(平忠盛)は貴族ですし、清盛自身も18歳で従四位下になっています。従五位下以上が貴族なので、18歳にして立派な貴族の位階を持っていました。ただ、藤原家のような公卿(上流貴族)ではありませんでした。

 そして平家物語にあります「平家であらずんば人にあらず」が言われますが、平時忠(義理の弟)の言葉であって、平清盛の言葉ではありません。
 平清盛は周囲に相当気を使っていました。波風を立たせずに上手に出世していきました。そのため藤原家でないにも関わらず太政大臣の地位を得ました。
 さらに書きますと、平清盛は伊勢平家ですが、伊勢平家で公卿を出した事がありませんでした。そのため公卿の頂点の太政大臣の地位を得たのは当時の常識では考えられなかった事です。

 さて、平清盛は日宋貿易を行いました。大輪田泊(今の神戸市兵庫区)にあった港を大改修。国際貿易港にしました。
 そして福原遷都で神戸が首都と貿易の拠点を兼ねる国際貿易都市になりました。
 平清盛がどんな夢を見ていたのかはわかりません。ただ、世界を相手にする壮大な展開を考えていた可能性はあります。貿易が国を富ますという発想を持っていたかもしれません。
 しかし、貿易が活発化すると伝染病までやってくることがあります。そのため平清盛は日本になかったマラリアで亡くなりました。
 そして国際貿易港になった大輪田泊は、後に応仁の乱の戦災に遭い、堺にその地位を奪われることになりました。神戸が国際貿易都市として復活するのは明治初期です。

 ところで今年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」で松平健さん演じる平清盛が出てきました。
 そのため平清盛がマツケンサンバを踊る姿を妄想してしまいました。踊る将軍様ならぬ踊る太政大臣様。暴れん坊将軍と大河ドラマの見すぎと言われそうですね。

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