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那須与一の孫が建立した弘誓寺。滋賀県東近江市五個荘

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 5月15日、近江商人を多く輩出した東近江市五個荘へ行きました。
 そこには那須与一の孫・愚咄坊(ぐとつぼう)が建立したと言われています弘誓寺(ぐぜいじ)がありました。

 那須与一は弓の名手で源平の戦いで源氏側で参加していました。
 屋島の合戦の時、平家側の船の乗っていた女性が「この的を射てみよ」と挑発してきました。的は竿の上にある扇でした。
 もし、扇を射抜けなかったら平家に馬鹿にされるため、誰もやりたがりませんでした。
 その時、那須与一が「俺がやる」と言って見事、射抜いた話です。平家側も「敵ながら天晴れ」で賞賛したようです。
 平家物語に記述された話なので事実なのか脚色なのかは謎ですが、弓矢の名人だった事はうかがえますね。

 余談ですが、5月8日放送のNHKの大河ドラマで屋島の戦いはナレーションだけでした。そのため屋島の合戦や那須与一が登場しませんでした。

 お寺の建造物は歴史的な建物で本堂は1764年に建立された物です。そして寺門は1692年に建立された物です。
 さすがに那須与一の孫の時代の建物はないですが、寺門が300年以上の建造物なので歴史を感じます。

 そして寺門の瓦の絵柄は扇でした。まさに那須与一が扇を射抜くにぴったしですね。

 ところで源平の戦いが終わった後、那須与一は恩賞として、いくつかの荘園をもらいました。その中に、この地があったかどうかはわかりません。
 ただ、孫の愚咄坊(ぐとつぼう)が弘誓寺を建立したことで、那須与一と縁のある地と言われています。

 さて、近くの金堂まちなみ保存交流館では那須与一の肖像が飾られていました。
 今年の大河ドラマで登場する場面がなかった那須与一ですが、近江の地でしっかりと輝いていますね。

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